障害者運動における葛藤問題
-主体の変容と葛藤生起の関連性についての考察-
○ 大阪府立大学大学院 大田 耀子 (会員番号7757)
キーワード: 《障害者運動》 《葛藤》 《主体》
本研究は、現在の障害者運動で個人が抱く葛藤問題に関する先行研究を整理しながら、1970年代から1990年代の運動の中で求められた主体像を明らかにし、主体像の変容と障害者運動を担う個人に生起する葛藤について、その関連性を考察する。
2.研究の視点および方法 1970年代頃より高まりを見せた障害者による障害者運動は、すでに40年余りの時を経ている。「障害の経験」を磁場に結集した彼らの主張と行動は、社会資源の整備、自立観の転換、障害モデルの変容、障害者像の変容、障害文化論や個性論などさまざまな価値を社会の中に生み出した。さらに彼らは社会参加の加速化を背景に異議申し立ての仕方を告発型から提言型へ、自らの属性を「被差別者」から「消費者」、そして「サービスの担い手」へと転じさせていった。こうした展開の一方で、運動が要求する「すべての障害者の連帯」や「私は障害者である」という一元的な見方での帰属意識、また「障害者が障害者のことをもっともよく理解できる」といった前提は、要請される側に何がしかの違和感をもたらしている。というのも、差別やディスアビリティからの解放、そして新たな社会環境の整備や資源の開発を実現させるため、障害者運動を担う個人は、「障害者」という画一的なイメージを引き受けざるを得ず、それは本人にとって苦痛を伴うものだからだ。1980年代以降の運動はそれまでの告発型の運動から変化を遂げ資源の開発とアクセスシブルな社会をもたらした。そうしたなか、社会変動としての価値観の多様化を背景に、運動を担う障害者たちも自らの様相を変容させながら、運動内部での矛盾を感じるようになっている。解放と自立のための社会資源の確保、これらを実現させるための一元的なアイデンティティの保持、そして集団としての解放と個人の解放。この二つの間で障害者は揺れる。運動の志向性を保持する必要に迫られる現実のなか、個人にどのような葛藤が生じているのか。また運動の変化とともに主体像に変容がみられるなら、それは葛藤の生起との関連はあるのか、以上を考察した。
研究方法については、公刊された著書、論文、各種資料、機関誌・紙等の文献調査を行った。主体像変容についての分析方法は1970年代から1990年代までを二期に区分し、各資料で主体、主体性に関して言及されている部分を抽出し、カテゴリーを用いて分類した。葛藤問題についてはレビューを行い葛藤に関する問題の整理を行った。
日本社会福祉学会の研究倫理指針を遵守した。
4.研 究 結 果 主体像の変容については、1970年代の運動期と1980年代以降の運動期においてその変容がみられた。すなわち1970年代運動期の主体像は社会が突きつける負のアイデンティティの自覚と差別問題としての障害者問題の提示を通して「いのちの主権」をもとめるものであったのに対し、80年代以降の運動期においては障害者を取り巻く環境の不整備に関してその解決の糸口を自分たちで模索し取り組んでいく志向性をもった主体像が表出されている。また、個人の葛藤については、多様性や違いを認めないとする運動内部の排他性への疑問からくるもの、首尾一貫した「障害者であること」の保持への抵抗や違和感からくるもの、という二つのレベルで存在していることが指摘できる。これらは相即的なものであり、共通点として「単一的なアイデンティティの要請」に対する抵抗があげられる。また相違点として、一方は障害者カテゴリーを保持しようとするのに対し、他方はそれを脱却しようとする点があげられる。またこれらの葛藤以外に、障害者運動内部の序列化がもたらす葛藤というのが仮説としてあげられる。これは運動内部に障害者による能力差を中心とした序列化が存在しており、健常者社会での能力主義という規範が運動内部でも再生産されていることから生起するものといえよう。さらに葛藤が生起するプロセスについては、石川(1992、1996)、倉本(1997、1999a、1999b)、瀬山(2001、2002)、田中(1995、2005)らの主張から、個人の葛藤は、「障害者」という単一的な主体の確立を規範的に突きつけられる過程で生起されやすいことが理解できる。運動を担う個人は告発運動や自立生活運動の波を止めてはならないことを承諾し、運動の果実である開発・整備された様々な資源を実際に享受している現実がある。運動の成果により障害者の生活や社会参加がある程度安定し複数のアイデンティティや他者との差異を感じるようになればなるほど、自己と運動における規範や社会的アイデンティティとの間に違和感を抱きやすくなる。こうした現実の中で障害者の葛藤は生起する。また、解放戦略として社会モデル、障害文化論、ピアカウンセリングの実践等があるが、こうした価値の産出が個人のエンパワメントの強化や自分と環境を見つめ直す視点へと繋がり、葛藤を生起、また強化する契機となりうる。
以上のことから、障害者運動における主体像の変容が、障害を持つ個人の葛藤を含んださまざまな思いの生起と関連していると思われる。すなわち、80年代以降の福祉サービスを含む社会資源の開発と普及に伴い、障害者の位相が利用者、消費者、供給者といったコードの転換を遂げ、障害者自身が発言権と決定権を持つようになったこと、そして個人の価値の取り戻しに関する戦略が実践され一定の成果があること、こうしたことが契機となり、障害を持つ個人は葛藤を含むさまざまな思いを生起しやすくなっているといえよう。