英国児童虐待防止研究 その19
-労働党政権における児童福祉/虐待防止政策のソーシャルワークへの
影響と変化-
○ 園田学園女子大学短期大学部 田邉 泰美 (会員番号1663)
キーワード: 《児童虐待防止》 《リスク》 《ソーシャルワーク》
労働党政権における児童福祉/虐待防止政策が(児童)ソーシャルワークに与えた影響とその変化を、社会投資国家という脈絡において検討し、理念と価値の必要性を明かにする。
2.研究の視点および方法Newman,J.(2001)Modernising Governance, Sage Publication, Webb,S.A.(2006) Social Work in a Risk Society, Palgrave Macmillan, Frost,N.& Parton.N,(2009)Understanding Children's Social Care, Sage Publication等の文献および公開資料に基づいて、労働党政権時おける児童福祉/虐待防止政策の目的を明確にし、それが(児童)ソーシャルワークに与えた影響と変化を社会投資国家の戦略にオーバーラップさせて検討する。
3.倫理的配慮資料・文献の引用にあたっては、研究倫理指針第2指針内容A引用に則って行う。
4.研 究 結 果①社会投資国家の児童政策/ソーシャルワーク:
社会投資国家とは、個人が潜在能力を開花させライフプランをしっかりマネジメント(リスク管理)するための条件を整備することであり、「人的資本」投資国家でもある。「人的投資」の対象は児童にも及ぶ。来る知識経済(グローバリズム)へ対応するために、教育とりわけ幼年期における家庭教育/養育は重要とされる(Every Child Matters:ECM,ECM:Next Steps)。すべての子どもと子ども期(childhood)が対象とされ、その目的は「子どもの保護」と「子どもの潜在能力を引き出すこと」であり、「安全保障」と平等な「機会提供」となる。これらの目的を実現するにあたって幼少期における(早期)予防介入が実施される。
ECM: Change for Children(CfC,2005)は地方(児童関連サービス)改革のための国家フレームワークである。子どもの健全な成長と発達に関する5つの到達目標が明示され、その進捗状況(達成度)を判断/評価するためのパフォーマンス指標(Performance Indicator:PI)が貼り付けられたアウトカムズ・フレームワークでもある。ECM:CfCは児童社会サービスの領域にマネジリアリズム(経営管理主義)を取り込んだ。
②マネジリアリズムと児童ソーシャルワーク:
図1,2はガヴァナンスの4つ類型を現わしたものである(中央からの統制が強い官僚/階層モデル、経済的効率/効果を優先する経営/管理モデル、相互ネットワークと柔軟な対応を重視する開放システムモデル、分権や参加を重視する自己統治モデル)。社会投資国家は、アクティヴな市民社会(コミュニティ)による自己統治を目的とするが、イギリスでは制度的再分配への配慮は弱く市場主義が強い。すると政府及び専門職のガヴァナンスは経営管理モデルへの志向を強める。政府はフレームワークを設定し現場での裁量の余地を残してインセンティヴを引き出そうとするが、達成目標を設定しその進捗をPIによって測定する(成果主義)。PIは自己診断と到達度評価に使用され、前者は自己規制を促し(政府施策指針への順応/適応)、後者は監査/査察など外部規制との親和性を強める。効率的処遇を自ら推進してゆく自己規制主体の創出である。官僚組織でありながら専門職団体として自己統治力をもち専門職アイデンティティを維持してきた(自治体)ソーシャルワーク(専門職/官僚制)は、官僚制解体とともに自己統治力も奪われ、臨床ガヴァナンスに屈する。ソーシャルワークは「質の保証」という名の下に「根拠に基づく実践」や「PIによる成果評価」に晒される。市場主義、マネジリアリズム、根拠に基づく政策/実践、成果主義とPI、行動主義ソーシャルワーク 監査/査察システムは強い親和性をもつ。「市場の見えざる手」による規制は「規制者の見える手」に置き換えられ、ソ-シャルワーカーの裁量は自己規制と外部規制の双方において狭められてゆく。
③予防介入と児童ソーシャルワーク※:
社会投資国家では「リスク管理のできる市民」と「そうでない市民」を選別し、後者に至っては「リスク集団」として選別し蓋然性を予測して予防介入が行われる。児童の領域でも同様である。すべての子どもを対象とする普遍的(早期)予防介入が主張されているが、すべての子どもを対象とするには、(保険)統計学に基づくリスク集団というカテゴリーによる選別介入が必要となる。ECMでは「幼少期の養育問題」と「子どもの健全な成長と発達」との間に因果関係があるとはいえないが、子ども問題を検討すれば必ず共通要因がありそれは実証研究でも証明されており、(早期)予防介入は可能・効果的であるとされる。しかしそれは、多くのデータを収集し統計によって把握された集合的傾向性でしかなく、個人の内面を対象とする臨床知ではない。人間の内面には触れず人間行動を断片化し統計処理された結果(知)にしか過ぎない。しかしアセスメントを経て特定のリスク集団に配置されると、リスク集団(at-risk population)のもつ行為の集合的傾向性あるいは統計的相関性が、個人固有の特質(at-risk person)であるかのように因果関係に置き換えられてしまう。リスクは蓋然性を客観/事実化する。ソーシャルワーカーにとって予測(prediction)が診断(diagnosis)よりも重要になる。そして「正常化」のための(社会的包含)プログラムが実施され、(児童)社会問題は「目的別プログラム」に分散・回収される。
リスク・カテゴリー(集団)による予防介入は、70年代シーボーム改革で実施された予防介入とは異質である。後者の予防介入は、精神分析学、心理学、社会学から知の正当性を調達し、利用者(親子)の内面への洞察を深め治療/援助関係を結び、社会復帰を目的としていた。前者の予防介入では、マネジリアリズムによる経済的効率性が課せられるので、対人(家族)援助においても短期成果が可能な人間行動科学的知を基本とするソーシャルワークが中心となる。
福祉国家の社会保険制度では低リスク集団が高リスク集団のリスクを一部負担し、リスクを社会化(標準化)することで社会連帯/統合が構築された。ネオリベラリズム的傾向(市場主義的)の強い社会投資国家では、社会はリスク・カテゴリー(リスク集団)を通じての社会的包含となる。包含が達成されなかった場合、社会的脅威/不安の程度に応じて、リスク集団管理が行われる。それはコミュニティによる見守り・サポートから情報テクノロジーによる監視まで多様である。しかし社会的包含にむけての忍耐強い治療的援助を期待することはできない。それは包含の政治ではなく「包含-内-排除」である。
こうして(児童)ソーシャルワークは「社会的なもの」すなわち「共同責任」「社会連帯」との結びつきを弱めてしまう。そして「内面でなく行動へ」「原因ではなく蓋然性へ」「正義ではなく危害の最小化へ」と焦点を移行させてゆく。
※重田園江(2003)『フーコーの穴:統計学と統治の現在』木鐸社,pp.80-81,pp.208-211を参照。