自由研究発表歴史5  下司優里

第二次世界大戦前カナダ・オンタリオ州立「精神薄弱」者施設における コミュニティ復帰の指向
 

○ 筑波大学大学院  下司優里 (会員番号7167)
キーワード: 《カナダ・オンタリオ州》 《「精神薄弱」者施設》 《コミュニティ復帰》

1.研 究 目 的

 本研究では,第二次世界大戦前のカナダ・オンタリオ州において,「精神薄弱」脅威論 に対する支持と懐疑両方の研究成果や政策が提出されるなかで,「精神薄弱」者のコミュニ ティ復帰策を模索した,州立オリリア「精神薄弱」者施設(the Ontario Hospital for Feeble-minded at Orillia) およびその施設長B.T. マギー( Bernard Thomas McGhie 1889-1945)に焦点を当て,なにゆえに同施設においてコミュニティ復帰が構想されたのか, またその目的と内容を明らかにすることを目的とする.
 オリリア施設は,1876 年に国内初の州立「精神薄弱」専門施設として開設されてから, 戦後まで州内で唯一の州立施設であり,州内外の「精神薄弱」者福祉の展開に先駆的役割 を果たしてきた.同施設において1927 年に施設長に就任した医師のマギーは,「精神薄弱」 者の施設総収容と施設内自立を掲げた先代から施設理念の転換をはかり,「精神薄弱」脅威 論を否定するとともに入所者のコミュニティへの復帰策を構想・導入する.
 戦前のカナダでは, 1920 年頃からカナダ公衆衛生協会(the Canadian Public Health Association: CPHA)などで,「精神薄弱」脅威論の論拠のひとつであった「精神薄弱」の 遺伝性について疑問を呈する研究が提出されつつあった.その一方で,カナダ精神衛生協 会(the Canadian National Committee for Mental Hygiene: CNCMH)や国内最大の優生運 動団体であったカナダ優生学協会(Eugenics Society of Canada: ESC)では,断種こそが 精神病者や「精神薄弱」者を含む「精神欠陥」者の増加を防止し,社会問題を解決する一 手段であると強く主張されていた.
 こうした断種議論の盛期にあって,オリリア施設が導入したコミュニティ復帰策の意図 と内容を解明することにより,戦前のオンタリオ州のみならず現在のカナダや日本におけ る知的障害者の脱施設化および地域生活の本質を検討する際の示唆が得られると考える. 

2.研究の視点および方法

 1920 年代末から1930 年代を研究対象時期とし,入所者のコミュニティ復帰が構想され た経緯と内容および意図を明らかにするため,オリリア施設年次報告書およびオンタリオ 州公文書館所蔵の同施設関係資料,ならびにマギーの著書および論文を主資料として,同 施設の理念,対象,処遇内容,施設に期待された役割,および実際の機能の観点から分析 する.また,当時の「精神薄弱」関係団体・人物の主張を分析するため,CPHA およびCNCMH 機関誌,ESC 資料等を補足的資料として用いる. 

3.倫理的配慮

 本研究は歴史研究であり,当時の語意・概念に立脚して分析と発表を行うため,「精神薄 弱」等,現在の人権尊重の見地からみて不適切な用語についても歴史的用語として用いる. 

4.研 究 結 果

(1)カナダ・オンタリオ州における優生学運動 20 世紀転換期にはカナダで最大の人口 を擁していたオンタリオ州では,「精神薄弱」の社会問題としての顕在化も早く,1900 年 代後半には「精神薄弱」者の急増と社会的脅威としての存在が指摘され,隔離保護収容と 増加防止がその対応策として言及されていた.CNCMH の全国調査やアルバータ州(1928 年) とブリティッシュ・コロンビア州(1933 年)の断種法制定を受け,1930 年代にはオンタリ オ州でも断種法制定要求運動が隆盛となったが,同州では他州と異なり,断種法制定の日 程まで審議されていたものの,結果的に否決されたのであった.
(2)B.T. マギーの経歴と「精神薄弱」脅威論の否定 1919 年に医学博士号を取得した マギーは,1920~1927 年までオンタリオ州ロンドン市の国立精神病院に勤める傍ら,ウェ スタン・オンタリオ大学で精神衛生学の准教授の職にあった.1927 年の施設長就任と同時 にトロント大学の心理学者ら3名と開始した研究の結果をまとめた著書(1929 年)では, 「精神薄弱」者のコミュニティ生活に対するマギーの好意的見解を認めることができる.
 同著のなかで彼は,多くの人々と「精神薄弱」関係者により容認されてきた,施設収容 による「精神薄弱」者の社会的排除ではなく,社会への包括の重要性を提唱し,また入所 者に「より効果的な訓練法とよりよいケアを提供したならば,…コミュニティで幸福かつ 生産的に,また自他に深刻な危険もなく就労することのできる者を増やすことができる」 と確信的に述べている.
 さらに1930 年と1936 年のCPHA での講演において,マギーは「精神薄弱」脅威論の強 硬派に対し,具体的根拠をあげて否定を呈している.すなわち,「精神薄弱」者多産説の否 定,「精神薄弱」者総収容の不可能性の指摘,断種の効用の否定,社会的病理の原因は「精 神薄弱」ではなく非行であるとの主張を行った.また,彼が「精神欠陥者の最も経済的な 処遇方法はコミュニティで世話すること」と述べていることから,「精神薄弱」者のコミュ ニティ復帰の論拠は脅威論への反対だけでなく,経済的有効性にもあったことが窺える.
(3)オリリア施設におけるコミュニティ復帰策 同施設におけるコミュニティ復帰策の 主柱として以下の3つがあげられる.①コミュニティへの適応訓練のための仮退所制度の 導入(1928 年),②コミュニティへのグループホームの設置(1939 年~),③施設内学校に おける社会生活を意図した教育および職業訓練.これらの対象は主に軽度級の者であった. 

5.文 献

McGhie, Bernard T. and MacPhee, E. D. (1929) Training and Research in a Hospital for Subnormals, Ontario Hospital Publications. ほか当日提示 

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