自由研究発表歴史5  倉石一枝

明治初期における健康概念の形成過程
 -養生から健康へ-

○ 岡山県立大学大学院修了  倉石一枝(会員番号7704)
キーワード: 《養生》 《健康》 《衛生》

1.研 究 目 的

 本研究の最終目的は、健康政策の確立・発展過程を検証することにより今後の健康政策の提言を行うことである。健康政策の確立・発展過程を検証するためには明治期から戦後にわたる長期間の政策展開をみる必要があるが、本報告では現代における健康づくりを考えるのにあたり、明治初期における健康概念の形成について考察する。 

2.研究の視点および方法

 日本の近代史において、現在の2000(平成12)年からはじまった第三次国民健康づくり運動「21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)」へとつながる「健康」という用語の定着過程をみていく。特に、西欧文明に直面した明治新政府が、「脱亜入欧」のもとに西欧文明である「health」を健康政策にいかにして取り入れるのか、との視点からその概念が日本に導入され定着していく過程をみる。 

3.倫理的配慮

日本社会福祉学会研究倫理指針に従って作成した。用いた史資料は当日配布資料に出典を明記する。また、史資料は、現代的価値観からすると不適切あるいは差別的な用語がある場合は、本報告においては歴史的表現として使用する。 

4.研 究 結 果

 「health」が「健康」という用語に定着する過程を、人物史的に概略すると、貝原益軒、高野長英・緒方洪庵、福沢諭吉および長与専斎に見ることができる。以下、略記する。
1)貝原益軒(1630-1714)
 貝原益軒によると「養生」とは個人の努力目標であり、その効果は自分にしかわからない。「養生」の実践効果の判定は本人に任され主観的なものであり、人によって判断が異なるということである。そこには身体の内部を分析するという習慣はなく、主観とともに説明するにとどまっていた。「養生」に見られるものは「与えられたものを減らさず、何事も中庸をめざして生を養う(生きる)」といういわば「消極的な」姿勢である。
 現在の健康増進の考え方は、自ら獲得していく「積極的な」姿勢での健康である。このことは、貝原益軒の時代には、健康にかかわる行政や学問である衛生という思想がなかった事、また、それが日本古来のものではなく、西洋文明の出会いから入ってきたことを示唆する。  
 「健康」は、身体の内部を解剖学や生理学などの医学的根拠に基づいて客観的に判断されるものである。「養生」と「健康」の番はその判定基準が主観的であるか客観的であるかということである。
2)高野長英(1804-1850)、緒方洪庵(1810-1863)
 幕末期、西洋医学との接触により、生理学的・解剖学的な新しい概念が入ってきた。西洋医学者の間では、これまでの「養生」の概念と区別するための新しい語を作る必要性があった。高野長英・緒方洪庵の両者は蘭学を通じて西洋医学に触れていたことは周知のことである。高野長英は『漢洋内景説』(1836(天保7)年頃)の中で「健康」という用語を用いている。ここで高野が用いた「健康」は、現在の我々が使う健康に近いと考えられるが、同じ書の中で「健行」という語も使用していることから偶発的な要素が高い。
 緒方洪庵は『病学通論』(1849(嘉永2)年)において「ゲソンドヘイド(蘭gezondheit/独gesundheit)」を「健康」と訳している。
 この時代、西洋医学の新しい視点で身体を見つめるようになってきた。
3)福沢諭吉(1835-1901)
 西洋医学者の中で徐々に「健康」という概念が浸透しつつあっても一般の国民には縁遠いものであった。その「健康」をわかりやすく広く国民に紹介したのが、福沢諭吉であった。最初は「health」を紹介するだけであった(適当な訳語が見つからなかった)が、徐々に福沢の中で「健康」のもつ意味は変化し、より現代の考え方に近い「健康」となっていった。1873(明治6)年頃は、生理学的に正常な状態を「健康」と言っていた。1878(明治11)年頃になると、「健康」は、運動によって身体を鍛え、外部のさまざまな刺激に耐えることと変化してきている。この変化は、当時の日本人の生活状況によるものと、福沢自身の体験から来るものによる。この積極的に身体を鍛え自ら「健康」を獲得する姿勢は、現代の健康増進の考え方に通じるものがある。
4)長与専斎(1838-1902)
 岩倉具視(1825-1883)使節団に加わった、長与は、欧米での調査中に「サニタリー(sanitary)」「ヘルス(health)」「ゲズンドハイツプレーゲ(gesundheitspflege)」「ヒギエーネ(hygiene)」等の語の意味に疑問を抱く。調査が進むにつれ。それが単に「健康保護」などといった単純なものではなく、この言葉に「国民一般の健康保護を担当する特種な行政組織」があることを発見し、「衛生」概念を創出した。そして、長与は近代日本建設の重要な柱の一つに、「特殊な行政組織」の建設、すなわち「衛生」行政の導入・定着を求めた。  

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