英国チャイルド・ケア・ポリシーにおける里親委託の優先に関する一考察
-戦時疎開における家庭委託の歴史的意義-
○ 京都府立大学大学院 板倉孝枝 (会員番号6400)
キーワード: 《チャイルド・ケア資源の選択》 《英国戦時疎開》 《里親委託》
英国では、1948 年児童法に、里親がチャイルド・ケア資源の選択肢として優先される旨
が記載された。法的に明記されたその内容は、チャイルド・ケアに関する公式調査委員会
報告に基づき導きだされた結論であった。その公式調査報告書では、養子縁組を第一、里
親委託を第二、さらにそれでも子どもの委託先が見つからない場合に限って、最後の選択
肢として施設を利用することが提案された。ところが、里親委託が実際には養子縁組に優
先されることになった。その理由は、現実問題として養子縁組を成立させることが難しい
からであった。
一方、里親委託は戦前から行われてきていた。19 世紀後半から20 世紀初頭にかけては、
救貧法下における大規模施設よりも、家庭的な雰囲気を提供できる里親家庭が採用されは
じめていた。第二次世界大戦期の戦時疎開では、この流れを汲み、一般家庭への疎開委託
が採用された。戦時疎開における一般家庭への疎開委託の方法は、ボランティアに依存す
るものであった。こうして採用が優先されはじめていた一般家庭への委託は、当時一般的
に、親子分離を余儀なくされる児童には適切な処置だと考えられる。
それでは、なぜ戦後になって1948 年児童法において里親委託が優先される必要があった
のであろうか。戦前からの里親委託と戦時疎開での一般家庭への疎開委託にはどのような
違いがあったのか。そして、戦時疎開はどのような家庭委託に対する課題を残し、戦後の
1948 年児童法の教訓となったのか。本研究は、チャイルド・ケア・ポリシーとして、里親
委託を選択することにどのような歴史的意義があったのかを明らかにしたい。
1948 年児童法が成立して以降、里親は第一のチャイルド・ケア資源として優先されてい った。そのことは、1948 年児童法の成立を契機に、大規模施設が解体される動きとも連動 していた。戦後のチャイルド・ケア・ポリシーは、一部の施設を残して、入所型の大規模 な施設を社会資源の選択肢から外していくというものであった。そのため本研究では里親 委託を社会資源として選択することについて、チャイルド・ケア現場で直面する課題を検 討する。そこでまず、第二次世界大戦前の里親委託の実態を歴史的背景として検証した。 次に、大戦期の戦時疎開で採用された一般家庭への疎開委託の実態を検討した。そして、 本研究では、家庭委託をすることが困難であった疎開児童のために用意された疎開ホステ ル資源との関連について考察を深めた。最後に、チャイルド・ケア・ポリシーとして里親 委託を社会的資源として優先することの意義を歴史的に検討した。
3.倫理的配慮インタビューイーは、本研究の主旨に理解を示し、インタビューイー自らの経験を次世 代のチャイルド・ケア研究に活かすことを条件に協力して下さった、英国の戦時疎開経験 者、およびチャイルド・ケア・コース卒業生を対象とした。得られたインタビューデータ は、個人が特定されないよう検討された。得られたインタビューデータはKJ 法によって、 プロトコル内容毎で分類した。その後、分類したプロトコル内容について内容分析を行い、 比較検討を行った。また、インタビューイーには今回の発表内容を確認していただき、さ らなる助言を受けた。なお、本研究は、インタビューイーから発表を許可された内容のみ を扱った。
4.研 究 結 果 1930 年代のチャイルド・ケア資源には、救貧法下における大規模施設や民間のグループ
ホームなど、何らかの理由で家庭で暮らせない児童に家庭的な雰囲気を与えることの必要
性が意識されはじめていた。とはいえ、実際には、里親委託は社会的に十分な理解が得ら
れた社会資源としては利用されていないのが実態であった。里親委託のように、家庭で児
童が養育されることの重要性が認識されはじめたのは、救貧法下で用意された大規模施設
での教訓だと言える。里親委託の方が施設委託よりも児童のためになる。これが、当時の
よき市民(good citizenship)を育成するための契機になりはじめていたのではないだろう
か。
そうした里親委託への動きが見られた当時、第二次世界大戦が勃発した。その結果、実
施された戦時疎開は、非常事態に実施された100 万人を越える人口の移動として捉えるこ
とができる。これだけの人口を委託する新たな社会資源を用意することは困難なことであ
った。そこで、既に存在している家屋で余った部屋を提供してもらうことが英国議会で提
案された。その結果、疎開児童の委託先は一般家庭が有力な候補とされた。こうした流れ
で一般市民の協力を得て、戦時疎開は実施された。ところが、一般市民は、疎開児童の示
す問題を理解するだけの専門知識をもって受託したわけではなかった。そのことが、一つ
の課題として浮き彫りにされ、さらには、一般家庭を支援する専門家の不在あるいは不足
がもう一つの課題として浮かび上がった。
こうした課題は、戦後のチャイルド・ケアに関する公式調査からも見出される。公式調
査の結果、1948 年児童法においては、社会資源としての里親を開拓するチャイルド・ケア
専任のソーシャルワーカーを専門職として位置づけるために必要な研修を緊急に行うよう
勧告された。さらには、児童の養育を担う職員への研修等のコースが設けられるに至った。
このような研修を行うコースでは、チャイルド・ケア現場での経験を積んだ専門家が講師
を務めた。里親を社会資源として開拓し、チャイルド・ケアの社会資源として選択する、
この環境調整そのものが、専門家を必要とする仕事として見直されたのである。以上のよ
うに、戦時疎開における里親委託の実態は、こうした専門家の必要性を浮かび上がらせる
だけの事例を一般市民に同時代に知らせる出来事であったといえる。