自由研究発表歴史3  西田 恵子

戦後混乱期の養老院・養老施設にみるララ救援物資の実態
 

○ 常磐大学  西田 恵子 (会員番号1970)
多摩同胞会  小笠原 祐次 (会員番号0921)
明治学院大学  岡本 多喜子 (会員番号0252)
文京学院大学  鳥羽 美香 (会員番号2910)
常磐大学  中村 英三 (会員番号4368)
法政大学  中村 律子 (会員番号0795)
岐阜県庁  仁禮智子 (会員番号6212)
松山東雲女子大学  曲田志保子 (会員番号1317)
文京学院大学  西村圭司 (会員番号7833)
キーワード: 《養老施設》 《ララ物資》 《運営管理》

1.研 究 目 的

戦前から老人福祉法制定までの養老院・養老施設を中心とした養老事業の歴史的な展開と特質を明らかにすることが研究全体の目的である。
 利用者の生存権と生活権の保障、そして事業の安定した運営には財源の確保が欠かせないが、戦後混乱期において財源の確保は大きな問題となっていた。財源の調達、利用者の食糧・日用生活品の確保等は民間に委ねられていたといって過言ではない状況が続いていた。また第二次大戦下から戦後の混乱期にかけて窮乏の度合いが高まる一方、保護、支援を要する層は拡大し続けていた。支援を要する層の拡大と、それと相反する運営環境の悪化。これらの危機的な事態を乗り越えるには民間の救援が有効に働いたと考えられる。
 本報告は、戦後混乱期の養老院・養老施設の運営支援に関わる民間の取組に着目し、特にララ救援物資の配給が具体的にどのように行われ、養老施設の運営に資することになったのかについて明らかにしたい。  

2.研究の視点および方法

Licensed Agencies for Relief in Asia(=アジア救援公認団体=通称:LARA)が提供した救援物資、いわゆるララ物資は、1946年11月30日に第一便であるハワード・スタンズベリー号が横浜港へ到着し届けられたことに始まり、1952年3月(6月?)まで継続して届いた。当時の厚生省の記録(『ララ記念誌』1952年12月)によれば、LARAは11キリスト教団体と2労働団体とで構成されていた。また、GHQの指導により当時は公表されなかったが、アメリカ・カナダ・ブラジル・アルゼンチン・メキシコ・チリ・ペルーに在留する日本人から寄せられた寄附金品も含まれていた。敗戦国国民の困窮に国を超えて行うこのような支援を進めるにあたっては適正な配分の方法が強く求められた。
 そこで、実のところララ救援物資はその趣旨がどのように生かされ、そしてどのような体制で配分が運用されたのか、また、支援を必要としていた養老院・養老施設入居者及び関係者はララ救援物資をどのように入手し、生活の糧としていたのかについて、保存されていた各種台帳や通知から分析した。その上で、戦後混乱期の養老院・養老施設の運営状況を検討するとともに、民間支援と公的部門との関わりについて考察をはかった。  

3.倫理的配慮

施設に保管されていた資料の閲覧と研究への利用について契約文書を作成し、当該施設と交換している。本発表に関わる「ララ物資支給台帳」、「ララ物資受払簿」等にある個人の名前については外部に流出しないよう資料の保管を厳重に行っている。 

4.研 究 結 果
(1) LARAの趣旨 LARAの活動発足の経緯を明確に示すものはないとされているが、救援活動の展開からいくつかの価値観と姿勢をうかがうことができる。ひとつは宗教を背景とした精神運動であり、平和を促す運動である。もうひとつは戦災による惨状をとらえた救済の必要の認識である。そして「最も必要な方面に公平に配分して、決して不平を起こさせないようにする」(G.E.Bott)配慮である。
(2) 配分体制 ララ救援物資は、1946年6月21日、厚生省社会局長へLARA代表から申し入れがなされたことから配分体制の構築が進み始めた。1946年8月30日にはGHQから「ララ救援物資受領並配分に関する連合軍最高司令官総司令部の日本帝国政府に対する覚書」(SCAPIN1169)が出され、配分は一層具体的なものとなっていった。そして、下図の体制が組まれたのである。受配施設は図に則って救援物資を受け取っていた。

ララ記念誌


(3) 配分状況 1946年度から1952年度に渡って集められ配分された救援物資は、食糧、衣料、布地、靴、石鹸、綿、薬品、その他である。凡そ7年の間に配分された対象施設は延べ68,057施設であり、配分対象人員数は延べ14,716,085人である。配分対象施設の内訳は、ミルク・ステーション1,987、乳児施設2,766、児童施設16,681、結核施療病院2,640、老人収容施設3,368、特殊施設536、盲聾唖児施設1,383、国立病院・国立療養所2,852、癩療養所141、保育所12,036、母子寮3,821、引揚無縁故者76、罹災者・引揚者寮3,319、保健所3,056、病院2,098であった(施設の種別名は厚生省資料による)。
(4) 施設の受入状況 老人収容施設が受領した救援物資の内訳延べ数は、食糧1,504,474,093ポンド、衣料229,776点・846梱包、布地50,407ヤード・316ポンド・10梱包・350点、靴8,163点、石鹸22910.5ポンド、綿974.615貫・492キログラム、薬品17,349点・60,015錠・886.25ポンド・6箱、その他である。各施設は厚生省、各知事の通達に従い支給台帳、受払簿を作成、保管するとともに、入所者の生活に役立てていた。入所者も施設での生活が救援物資に支えられていることを把握していた。
(5) 結論 ララ救援物資は実際に各養老院・養老施設に届いていた。食糧は施設の食事に活用され、衣類をはじめとした日用生活品は施設入居者一人ひとりに配分されていた。飢えが蔓延し不衛生に浸った戦後の厳しい状況下で、ララ救援物資が貴重な生活物資として有効に消費されていたことが複数の事例から把握できた。また、適正な配分、公平性の確保を期されたララ救援物資は、徹底した管理体制が組まれ、執行がはかられてもいた。戦後混乱期でありながら、各機関、各施設は様々な指示を順守し、その役割を果たすことに努めていた。

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