自由研究発表歴史3  野口友紀子

戦前期社会事業論の系譜
 -大正半ばから昭和初期を中心に-

○ 長野大学  野口友紀子 (会員番号4418)
キーワード: 《社会事業》 《社会政策》 《慈善事業》

1.研 究 目 的

 本報告では,大正期半ばから昭和初期にかけての社会事業論についてその特徴を整理する.この時期の社会事業論は(1)社会事業を慈善事業や救済事業と比較してその相違を明らかにしたもの,(2)社会事業をその特質から論じたもの,(3)社会事業を公営と私営から論じたもの,(4)社会事業を社会政策と比較してその相違を明らかにしたもの,の4つに区分できる.
 この時期の社会事業論について,吉田は「大正デモクラシーと社会事業理論」,「資本主義の危機と社会事業理論」の大きな枠で整理している(吉田1974).永岡は論争史という視点で昭和初期社会事業本質論争までを「「私的社会事業」論争」(1926.5?8),「社会政策学からの議論」(1928.1?8),「海野─磯村論争」(1927.10?1928.6)の3つに分類している(永岡1979:262-265).また,菊池は永岡の述べた「私的社会事業論争」を社会事業の行き詰りとその打開策までを含め,昭和初頭から約10年間の議論と捉えている(菊池1993).これらの研究を踏まえ,当時の社会事業の説明のされ方の全体像をつかむ.  

2.研究の視点および方法

 本報告において対象とする素材は,大正期半ばから昭和初期にかけての『社会と救済』,『社会事業研究』を中心とした論稿である.社会事業成立期といわれる時期から社会事業がどのように説明されていたのか,特に社会事業の対象者や社会事業の内容について,あるいは他の領域との境界をどのように設定していたのかを検討する.また,これらの社会事業論が後に続く議論にどのようにつながっていくのかを考察する. 

3.倫理的配慮

 研究倫理指針に従い,引用においては原典にあたり孫引きをしていない。 

4.研 究 結 果

(1)社会事業を慈善事業や救済事業と比較してその相違を明らかにしたもの  この議論は,貧困の原因の捉え方が変化し,貧困に対して恩恵ではなく社会的に取り組む必要が生じたことを背景に,慈善事業と社会事業とを比較したものである.例えば,矢吹慶輝は社会事業は慈善事業とか救済事業のような特殊な人々に対する事業ではなく社会全般の事業であるとしている(矢吹1918:277).小河滋次郎は慈善事業は主に鰥寡孤独の者等を対象とし,社会事業はそれだけでなく労働者,小作人等すべての無産階級者,婦人等も含むとしている(小河1922:659).
(2)社会事業をその特質から論じたもの  
 この議論は,社会事業の体系化,理論化を図るものである.賀川豊彦は社会事業が必要とされる原因を4つ上げ,単に経済的なもののみを対象とするのではないとし(賀川1927:3),社会事業が対応すべき問題を経済的問題以外にも見いだした.磯村英一は,「私は社会事業の科学的研究には双手を挙げて賛成出来るが社会事業学なる一科学の存在には根本的疑義を持つ」という立場をとり(磯村1928:220),海野幸徳の「学」の構築に対する批判を行った.木田徹郎は社会事業の行き詰りの問題は社会事業自体の将来の方向に関する問題であり,解決のために社会の発展過程を理解し,無数の問題を明確に認識し,社会問題解決のために科学的理解,社会問題の学的研究の必要を述べた(木田1929:594).
(3)社会事業を公営と私営から論じたもの  
 私営社会事業の存在意義と有用性に関して公的社会事業との対比においてそれぞれの独自の方向性が論じられた.大林宗嗣は社会事業が現代社会思想の進歩についていけずに行き詰まったと捉え,私的社会事業を国営に移管し従来では成し遂げられなかったことを普遍的に行うこと,私的社会事業は社会の大衆運動に向かうこと,と述べていた(大林1926:15).川上貫一は国営化される前においても国営化された後においても私設社会事業が大衆の要求へ方向転換することでその存在の価値を認めていた(川上1926:22).これらの議論は社会事業を拡大して捉える方向や伝統的なものと結びつける議論へとつながる.
(4)社会事業を社会政策と比較してその相違を明らかにしたもの  
 社会政策との比較で社会事業は大正半ばから昭和初期にかけて防貧対策,労働問題,経済保護事業などと結びつけて論じられていた.永井亨は「社会事業は社会政策を補助しつゝその実行の任に当りその実効に遺憾なからしむるべきものである」とする(永井1928:745).桑田熊蔵は社会事業と社会政策を経営主体による区分と性質による区分の2つに区分し,性質による区分の方が明確であると述べた(桑田1928:880).これらは後の大河内の社会事業論をはじめとする社会科学的な視点を持つ議論へとつながる.
(5)まとめ  
 第1に,時期区分の設定についてである.大正半ばから昭和初期の社会事業論にはいくつかの論点があり,ある論点は論争に発展し,継続的に展開する.しかし,ある論点では議論が発展せず,終息に向かうものもあり,議論の発展や立ち消えを見る場合,大正期,昭和初期と分断せず継続的に見るほうが議論のつながりが見えその傾向をつかみやすい.第2に,社会事業論にかかわる議論の展開を広く捉え,議論のつながりをみる視点をとることである.ある特定に領域に絞った議論展開の分析は,その時代の特に関心が高かった分野が分かり,また議論の中身の分析により次の議論へのつながりが見えるが,一方でその当時余り着目されなかった社会事業論が抜けてしまう.また,一つの論点の詳細な分析ではその時代の全体的な社会事業の議論の傾向は見えにくい.特定の領域の議論に焦点をあてる研究に加え,社会事業論の系譜を捉える視点を導入することで,社会事業論の全体像を把握できるであろう.  
 今回の場合,大正半ばから社会政策との比較による社会事業論が継続的に展開する.同時期に慈善との比較論も展開するがこれは昭和初期には終息に向かい,その後は社会事業の公私論と社会事業の体系化論が台頭し,これらが社会政策との比較論と並行する.これが社会事業論の全体像となる.  

5.文 献

磯村英一(1928)「社会過程に於ける救済観念の変遷─海野教授に対する二三の疑義─」『社会事業』12(3)
大林宗嗣(1926)「社会事業直営に就て(川上氏の批評に答へて)」『社会事業研究』14(7)
小河滋次郎(1922)「社会事業概説」『社会事業研究』10(8)
賀川豊彦(1927)「社会事業の永遠性」『社会事業研究』15(11)
川上貫一(1926)「私的社会事業の有用と価値」『社会事業研究』14(8)
菊池正治(1993)「昭和恐慌期の私設社会事業─社会事業の『行詰り』とセツルメント─」『九州龍谷短期大学紀要』39
木田徹郎(1929)「社会事業に於ける科学性の必要」『社会事業』13(6)
桑田熊蔵(1928)「社会事業と社会政策の区分に関する学説一班」『社会事業研究』11(11)
永井亨(1928)「社会政策上をより見たる社会事業」『社会事業』11(10)
永岡正己(1979)「戦前の社会事業論争」真田是『戦後日本社会福祉論争』法律文化社
矢吹慶輝(1918)「開戦前後に於ける欧米社会事業の状況」『社会と救済』1(4)
吉田久一(1974)『社会事業理論の歴史』一粒社  

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