自由研究発表歴史2  長谷川 真司

助成実績からみるインターミディアリー(資金仲介組織)としての
 恩賜財団慶福会 -原田積善会からの助成の意義と役割-

○ 法政大学大学院人間社会研究科博士後期課程  長谷川 真司 (会員番号6363)
キーワード: 《助成財団》 《戦前期》 《インターミディアリー》

1.研 究 目 的

 昨年度日本社会福祉学会第57回全国大会において、戦前期に活躍した民間助成財団のなかで社会事業に対して積極的に助成をした大規模財団である財団法人原田積善会を取り上げ、助成内容をデータベース化することにより、数値などを基に大局的に助成実績から実態を明らかにし,実証的に戦前期の民間助成財団の特徴について報告した。  
 民間助成財団の意義と役割を考える場合には、助成の出し手側からの分析とあわせて助成の受け手側からもその助成金の与えた影響を明らかし、両方の側から検証することが重要になる。また、戦前期には原田積善会以外にも社会事業に助成を積極的に行い財政面から社会事業を支えた助成財団が存在していたが、戦前期の民間助成財団に関する研究自体が少ないなか、体系的に民間助成財団について明らかにした研究はほとんど行われていない。戦前期の民間助成財団の意義と役割を考察する場合、複数の民間助成財団の分析を通して検証し体系的に考察する事も重要である。  
 本研究では、これらの課題を踏まえ原田・積善会が創設者原田二郎存命の頃から戦前期を通して大規模助成を行っていた恩賜財団慶福会を取り上げ、原田積善会からの助成が果たした役割と意義について助成実績の実証的分析を通して考察する。  

2.研究の視点および方法

 原田積善会の助成実績に関しては、データベース化したことにより助成金の出し手側の情報が明らかになり、必要に応じて受け手側の情報と照らし合わせる事が可能になった。  
 慶福会に関しては、慶福会事業概要を設立年度から昭和16年まで入手し、助成に関して金額、使途、事業種類の詳細が全て記載されている資料があるので、これらの情報を原田積善会に対する分析同様にデータベース化し慶福会の助成実績を実証的に検証する。あわせて、設立からの歴史がまとめられている『慶福育児会のあゆみ-明治から平成へ-』(慶福育児会1995)などの文献や原田積善会が保有する史料(寄附審査録や寄附申込記入帳など)を踏まえ原田積善会の助成分に関して主に分析しながら原田積善会からの助成の果たした意義と役割についても検証する。  

3.倫理的配慮

 本研究においては、慶福会による事業概要など印刷物として一般に配布されているものを利用するので、団体の名称及び助成実績などの情報について原則記述されているまま利用する。 

4.研 究 結 果

 慶福会は、大正13年皇太子の結婚に際し社会福祉事業のため100万円が下賜されこれを基金として設立された。その設立目的は寄附行為にあるように、「私設社会事業ノ助成ヲ為ス」(第2条)事であり、その目的を達するために「社会事業ニ対シ補助ヲ為スコト」と「社会事業ノ臨時施設ニ対シ資金ノ融通ヲ為スコト」(第3条)を事業として行う事を定めていた 。  
 慶福会設立にあたり、資金として恩賜財団済生会の設立と同様に民間からの寄付金による資金を充当させる予定をしていたが、当初予定通り集まらず原田積善会からの20年間で300万円という大口寄付により事業を拡大し推進することが出来るようになった2。  
 戦前期において原田積善会の助成のうち1件の助成額が10万円を超える助成は全体の1%未満(51件)しかないなか、大正13年から昭和18年まで20年に渡り慶福会に最終的に毎年15万円と原田二郎が亡くなった時の寄附をあわせて合計3,319,027円を助成している。また、原田積善会の助成のうち戦前期を通して「一般的事業」の領域に分類した団体(連絡機関、調査研究機関、助成団体など)に対する助成金額の割合(54.6%)が助成件数の割合(17.4%)に対して高く、慶福会に対する助成がいかに原田積善会の助成のなかで金額的に大きかったかを示している。  
 慶福会設立時の下賜金と原田積善会からの寄附以外の慶福会の主な基金としては、大正14年に内務省社会局から震災善後施設費として震災義捐金残額から150万円交付を受けている。また、皇室の下賜金として昭和3年故久宮佑子内親王ご追福として児童保護資金として5万円下賜された。慶福会では、これらの恩賜金や寄附金に関して寄附行為第8条にある「本会ノ目的ヲ翼賛スル金員ハ凡テ之ヲ基金二編入ス但其ノ目的ヲ指定シタルモノハ其ノ用途ニ充ツ」の規定により条件を付されている場合はその条件に沿って特別会計を置いて助成を行っている3。  
 原田積善会からの寄附に関しては、①寄附金に関して元金を消費せず基金として維持し、②寄附金から生じる収益のうち2割を非常準備金として天変地異その他国家の有事の際に使えるようにし、③中央社会事業協会による施設に係る共済組合の給与金の補助として使用する事が寄附申込書にあった。これに基づき、昭和3年から始まった社会事業従事者共済組合助成は、慶福会からの助成ではあるが、原田積善会から一度慶福会へ助成をして慶福会から助成という形をとっていた4。  
 また、原田積善会では創設者が亡くなった際(昭和5年)に創設者の遺志として慶福会に40万円寄附し、慶福会ではこの特別助成をうけ原田翁記念事業資金として特別会計をもうけた。そして、その収益により全国の私設社会事業施設に対して経常費助成を行った。  
 原田積善会の助成に関する特徴として、経常費助成を積極的に行っていたことがある。原田積善会本体の戦前の助成のうち全体の40%が臨時費助成、23%が事業費助成、12%が経常費助成であった。そのうち社会事業に対する助成に限った場合、5割が経常費助成であった。私設の社会事業施設の経営難が大きい時代背景もあり、経常費助成を設立以来行ってきた。昭和17年に経常費助成に関して原則制限を設けたため、それ以降は経常費助成の件数が徐々に減少した。しかし、慶福会の主要な助成の一つが経常費助成である事はまたある意味慶福会を通して原田積善会が経常費助成を行っていたともいえる。  
 これらが示すように、慶福会の助成に関しては、慶福会がインターミディアリー(資金仲介組織)として原田積善会などからの助成を元に、個別の社会事業施設に対して助成をしていた構造になっていたといえる。慶福会においては、原田積善会からの資金が基金として活用され助成事業を支え、個別の社会事業施設に対して金銭面から助成団体として重要な役割を果たした。慶福会の助成は、原田積善会と慶福会双方にとって、またその恩恵を受けた社会事業施設にとっても意義のある助成であった。  

5.文 献

1 2 恩賜財団慶福会(1926)『恩賜財団慶福会事業概要 第一号』
3 社会福祉法人恩賜財団慶福育児会(1995)『慶福育児会のあゆみ-明治から平成へ-』
4 原田積善会(1950)『三十年史』原田積善会  

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