ショファイユの幼きイエズス修道会の明治14年度活動報告書
-明治初期のカトリックによる社会活動の一背景-
○ 児童養護施設 マリア園(長崎純心大学大学院後期課程) 赤岩 保博 (会員番号7300)
キーワード: 《ショファイユの幼きイエズス修道会》 《センタンファンス会》 《活動報告書》
明治期・大正期の育児事業経営の概観的研究としては大友(1975)の研究がある。『日本社会事業名鑑』(大正9年)を基礎資料に施設経営の収入源の分析を行い、当時の育児事業の経営は①外国の組織、財源の一部に組込まれている、②家業経営的施設経営、③会員制度による施設経営の3種に分類されることを明らかにした。そしてカトリック系施設は国外の大きなキリスト教団体等からの援助資金がほぼ9割前後であることを示した。明治10年代は田代(1989)が指摘しているように育児事業等においてカトリックの独壇場であった。その事業を支えていたのは大友(1975)の指摘する国外の大きなキリスト教団体等からの援助資金であった。今回、1枚だけであるがショファイユの幼きイエズス修道会(以下、幼きイエズス修道会と表記)資料室蔵の同会からフランスの在俗援助団体であるセンタンファンス会への明治14年度の報告書を拝見することができた。報告書(フランス語)はセンタンファンス会会長宛てに幼きイエズス修道会から送付された。内容は1881年11月1日から1882年11月1日までの幼きイエズス修道会の大阪、神戸、長崎での活動事業報告である。本稿ではこの報告書等を通して明治初期のカトリック修道会による事業展開の背景等を明らかにする。
2.研究の視点および方法研究資料は幼きイエズス修道会日本管区本部資料室蔵の1枚のセンタンファンス会への報告書と『メール・ジュスティヌの書簡集』、センタンファンス会、信仰弘布会の年報等である。本稿は上記資料を基にした歴史的研究である。本稿は収集された資料、文献を津曲(1981:12-13)の8分析視点のうち「経営」の分析視点で分析、考察を行う。
3.倫理的配慮「日本社会福祉学会研究倫理指針」に則り研究報告を行う。ショファイユの幼きイエズス修道会日本管区本部の承認のもとに研究を行っている。
4.研 究 結 果1)児童数
受洗児童数は86名、里預け児童数は46名、キリスト教徒家庭に委託した児童数は5名である。孤児院は3施設で男子14名、女子162名の合計176名である。小学校は3校で男子8名、女子102名の合計110名である。作業所は3ヶ所で女子のみ48名である。幼きイエズス修道会が1年間に養育等で関わった児童は全部で260名である。孤児院、小学校、作業所の児童数は重複している。費用を修道会が全額負担した児童数が215名で一番多く孤児、棄児である。一部費用を負担する児童数は15名で、全く費用を負担しない児童数は30名である。養育が必要な児童は孤児院児童176名と里預け児童46名とキリスト教家庭に委託した児童5名の合計227名である。孤児、棄児が215名であるので、12名の児童が何らかの事情で家庭に代わって修道会によって養育されていたことが推察される。この12名の児童の養育費用は依頼した親、親族等が費用を全額あるいは一部を負担していることが推察される。利用者の費用負担児童は45名なので残り33名が孤児院ではなく小学校、作業所を利用していることになる。また孤児院児童215名のうち82名の児童の費用はプティジャン司教と個人の寄付によって援助されている。
2)支出
通常経費は以下の通りである。児童に洗礼を授ける費用は0である。里預けに要した費用が635フランである。里預け児童数が46名であるから一人当たり約14フランを里親に支払っている。キリスト教徒に委託した費用は0である。孤児院児童に要した費用は15,795.75フランであり、一人当たり約90フランが必要である。小学校在籍児童に要する費用は150.30フランである。作業所在籍児童に要する費用は155フランである。このほか葬儀費用、医薬品費等で395.50フランかかっている。臨時経費は修理費用が250フランである。他に日本政府に支払う居留地の年間借地料が2,335フラン必要であった。通常経費と臨時経費合計で19,716.55フランである。
3)収支計算書
前年度からの繰越金はゼロである。そして1882年度の支給金が11,750フランである。協力者の醵金、作業所等から生じる様々な収益は125フランしかない。収入は全体で11,875フランである。全支出が19,716.55フランであるので差し引き残高は7,841.55フランで約8,000フランの不足である。
4)センタンファンス会の目的、方針
「センタンファンス会は中国または他の異教の国々で異教徒の両親から生まれた子どもたちに洗礼を授け、解放しキリスト教的教育を与えることを目的とするものである。」
「センタンファンス会はこの子どもたちが教育を受けてから自活することができる時まで彼らを支援することができる。他の目的にこの基金を使用することは、会の基本的な規則の要点に触れることである。このことをする人がいるとすれば、その人の道義心が問われる。」(シスター相川ノブ子訳)
大友昌子(1975)「児童保護事業の成立とその社会的背景-育児事業の経営・運営内容の考察を中心として-」『社会福祉』18,31‐39.
津曲裕次(1981)『精神薄弱者施設史論』誠信書房.