ソーシャルワークにおける価値規範の問い直し
-援助関係にみられるリベラルな公私区分に焦点を当てて-
○ 大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程 高城 大 (会員番号5294)
キーワード: 《援助関係》 《公私二元論》 《リベラリズム》
ソーシャルワークはすぐれて倫理的な実践である。ある行為が正しいか間違っているか、といった問いに
どのように応えていくのかが、ソーシャルワークでは大きな位置を占めている。そこで重要なのは、どのような
価値を志向するのかということであり、その結果、援助の方向性も規定される。こうした問題の考察に正義論の
展開が重要な方向づけを与え、原理的な問題提起をしている。特に今日のソーシャルワークの価値や原理を考える
際、ロールズの正義論は大きな影響を与えている。例えば、IFSWの定義では「人権と社会正義の原理は、ソーシャル
ワークの拠り所とする基盤である」とし、「人権と社会正義は、ソーシャルワークの活動に対し、これを動機づけ、
正当化する根拠を与える」(IFSW, 2000)ということが盛り込まれており、倫理綱領も定められている。ロールズの
正義論は、社会問題を構造的にとらえる視点を失っていたソーシャルワークにとって、社会正義へコミットメント
することに貢献したといえる。しかし、リベラルな正義論は、その適用範囲が公的領域のみにしか及ばないと
フェミニズムを中心に批判されている。ソーシャルワークにおいても、正義論が援助関係に適用されていないこと
によって、クライエントの抑圧につながり、パターナリズムの温床になっているとその権力性に焦点化されてきた。
この批判の背景や争点は多様であり、安易な一般化はできないが、共通する特徴の一つは、正義論が西洋近代あるいは
男性中心主義的であったということである。
近年、リベラルな価値を志向することが公私の間に強固な境界線を設定し続けることにつながっているとして
近代主義ソーシャルワークへの懐疑が、呈示されている。援助関係を公的権力が及ばない私的領域とみなす公私二元論
は、ポスト構造主義に影響を受けてその問い直しが叫ばれているが、まだまだ議論が不十分であると思われる。
ソーシャルワークにおいてリベラルな思想に依拠した価値志向を相対的に見直し、それが援助関係でどのような問題
が生じるのか検討し、今後、価値の分析を進めていく足がかりとしたい。その際、リベラリズムが設定した公私二元論
については、フェミニズムが問題提起しており、フェミニズムの知見はソーシャルワークにも重要な示唆を与えている
(吉田1996,2000)。よって、フェミニズムが提示している公私二元論に関する問題点を参考にしていく。
本研究は、ソーシャルワークにおける既存の公私二元論をいかに克服するか、そしていかに脱構築するかといった
前提作業と位置づけるものである。
フェミニズムが提示した公私二元論の枠組みを前提とすることで生じる問題点について、本研究では以下のように 整理した。そのうえでソーシャルワークの文脈で私的領域と公的領域のあいだに強固な境界線が設定されて続けている ことの問題点を探る。①「個人的なことは政治的(The personal is the political)」というスローガンをはじめ、 女性は公的領域から排除されてきたこと②親密圏と呼ばれる私的領域には相対的な位置づけと役割がある。その内部 では二項対立が働き、男性による女性の従属や抑圧といった特有の権力関係が働いていること③理性や自律といった 能力をモデルに置く近代的主体を強調し、公的領域では特定の人のみに権利や自由を保障してきたことが挙げられる。 こうした問題の焦点はソーシャルワークも共有しており、フェミニスト・パースペクティブの導入によって再検討が 模索されている(井上1989,杉本1993)。自由主義イデオロギーを体現し続けているソーシャルワークにとって、 リベラリズムの基底に横たわる価値規範をいかに評価し、生じる問題を検討するかが必要だと思われる。こうした点 を踏まえて、リベラルな公私区分論が、権力関係に転化し、二項対立を生みだす原因に多大な影響を及ぼしている のではないかとの仮説をもとにその検証をすすめていく。
3.倫理的配慮本研究は文献研究によって行う。文献については、日本社会福祉学会研究倫理指針「学会発表」に規定された 指針を遵守し、その使用に関し、引用・参考等を厳密化する倫理的配慮を行った。なお引用・参考文献は紙面の都合上、 当日配布資料に記載する。
4.研 究 結 果近代の産物と称されるソーシャルワークは、近代的主体という人間観と強固に結びついている。それは近代西洋 の文脈では十分表象できない者をその対象から排除することを意味する。ソーシャルワークは、自らの選択・行為に 対し、自己責任が果たせる理性的な主体へとクライエントを成長させる、主体化させる装置でもあった。それは 「ソーシャルワークにとってのクライエントは、ソーシャルワークが扱える範囲でのクライエント像でしかなかった (松倉2001:7)」という指摘からも確認できる。リベラルな公私二元論の枠組みでは、援助に内在する「政治性」を 問うことができなかった。近代的主体を前提とした語り方は、既存のイデオロギーを自明な価値規範として内面化 させ、権力関係を再生産させる形で現前しているといえる。こうした見えにくい前提に気づくためには、イデオロギー との関係の中で、硬直した援助言説そして二元論を正当化する言説と執拗に向きあうほかないと思われる。近代の 諸原理への揺さぶりを試みているフェミニズムやオリエンタリズム等の知見を参考にするとともに、リベラリズムと ソーシャルワークの関係に欺瞞性や陥穽がなかったのか援助言説のなかで具体的に検証していくことを今後の課題 としたい。