高石史人の「『信』の構造」による「仏教社会福祉」論に関する考察
-その問題点と可能性について-
○ 花園大学 澤野 純一 (会員番号7647)
キーワード: 《高石史人》 《社会福祉》 《仏教》
「仏教社会福祉学」の原理的研究を行う際に、「仏教社会福祉学」の研究史を整理してゆく作業は極めて重要
であるが、近年、特に戦後以降の「仏教社会福祉学」の研究史については、整理・検討され、類型化がなされる様々
な努力が払われている。そして、これらの研究史の整理の際に、大きなポイントとしてある程度共通しているのは、
「仏教社会福祉」を「仏教」と「社会福祉」との関係論から捉えるのではなく、総体としての「仏教社会福祉」として
捉えなければ、「仏教社会福祉」の独自性と内実を明らかにすることが出来ないであろう、とするスタンスである。
この着眼点がひとつの重要な問題意識の設定であることは、言うまでもないだろう。
しかしながら、発表者は以前から「仏教」と「社会福祉」は、人の生活、そして人が生きることそのものに直接
関わるという点において深く共通する部分があるものの、その役割と活動領域において、大きく異なる部分がある
のではないか、という問題意識を持っていた。その様ななことから「仏教」と「社会福祉」とが、どの様な形によって
関わりを持つのかということ、つまり「仏教」と「社会福祉」各々の分野の関係性という命題は、現在も尚大きな
テーマであり続けているし、このポイントをある程度明らかにする作業が行われなくては、真の意味での「仏教
社会福祉学」の独自性と内実を探究することは難しいのではないかと考えている。
さて、近年の「仏教福祉学」の原理的研究の中で、「『信』の構造」という独自の視点から問題提起を行ったのが
高石史人である。私たち個々人の内において「受容」された「仏教」が、私たちの生きる歴史的・社会的世界にどの
様に関わるのか、という高石の問題設定は、人間の歴史的・社会的営みのひとつである「社会福祉」の領域について
考察する際に、避けて通ることの出来ない重要な視点を孕んでいるものと考えられる。
今発表においては、この高石史人の「『信』の構造」論の可能性と問題点を検討することにより、「仏教」と
「社会福祉」の関係性という命題の重要性について考察し、「仏教社会福祉学」の内実を探求する礎としたい。
視点は、仏教学研究、および仏教福祉学研究である。方法は文献研究による。
3.倫理的配慮この研究発表に関しては、特に倫理的配慮の必要はないかと考える。
4.研 究 結 果まず、高石は、仏教と社会福祉の関わりを考える場合、「本来仏教は、部分の如きものではなく、一つの
世界観であり、その仏教を拠り所とした社会的立場からすると『社会福祉』は必然的にその『福祉』の内実を規定
させずにはおかないはずのもの」であり「仏教社会福祉の内実は、したがって、社会福祉(実体としてのそれ)に
関与する主体としての仏教徒の内実に、決定的に規定される」と述べ、「仏教徒の内実」の問題に着目する。この
ことを高石は、仏教徒における「仏教受容」=「『信』の構造」、すなわち「世俗世界の只中に生きる私たちが仏法
と出会い、その仏教をどのような教法として受容するか」という問題として掘り下げる。高石はさらに、この「仏教
受容」=「『信』の構造」の問題を「仏教という教えがこの歴史的世界に生きる私たちにとって、どのような意味
(したがって生き方)をもたらす教えとして受容されるのか」と問い、この問題を「信」と歴史との関わりという
視点から論じる。以上の様な視点を前提とした上で、高石は、仏教受容の様態が信仰主体をして、その歴史的・社会的
立場を成立せしめるのであるとし、その立場は、例えば「社会福祉」と関わりを持った場合、その「社会福祉」の内実
をも規定せずにはおかない一つの世界観となると考える。その様な「信」の社会性を高石は特に「普遍的社会性」と
名付け、「信の社会性」を問う際の「普遍的社会性」の重要性を強調している。
以上が、高石史人の「『信』の構造」論の要点である。その問題点として考えられるのは、その仏教に対する考え方
における規定性の強さと固さである。仏教が「社会福祉」と関わりを持った場合、その「社会福祉」の内実をも規定
せずにはおかない一つの世界観となるという氏の考えは、深く考察されるべき重要な提言として捉えられる必要がある。
それにも関わらず、この論旨には仏教が支配の論理へと転換し兼ねない若干の危惧される側面を孕むものとしても
考えられる。仏教とは、人の生活の様々な局面において立ち現れてくるものであるが、そこには柔軟性と自由があり、
本来、何かを強く規定してしまうことから最も離れているものではないか、という疑問が残る。
しかし、それにも関わらず、氏の論説は極めて重要である。その最大のポイントは、「仏教受容」=「『信』の構造」
と歴史的・社会的世界との関わりの問題を鮮明化させたことであろう。なぜなら、これは、仏教(宗教)が私たちの
生きる歴史的・社会的世界にどの様に関わるか、という問題だからである。高石は、例えば、キリスト者であるマザー
・テレサの実践について、その様な実践が「彼女のうちのどの様な根拠において成立してくるのであろうか」と問い、
「信仰の行為」としての彼女の愛の実践が、社会的営みとしての社会福祉実践の上に交叉する、その交点における両者
の関係を問うところに「宗教社会福祉」のテーマがある、と述べている。「社会福祉」を歴史的・社会的世界における
人間活動のひとつであると仮定すると、「仏教」と「社会福祉」においても、「その交点における両者の関係を問う」
ことは、「仏教社会福祉学」の内実を考えていく際の最大の問題であると考えられる。