イギリス緩和ケア体制の動向
○ 上智大学院博士課程 鏑木 奈津子 (会員番号6767)
キーワード: 《緩和ケア》 《イギリス》 《市民参加》
近年わが国では、在宅緩和ケア体制の整備が進められ、国や自治体による多様な取り
組みがみられるようになった。一方、イギリスをはじめヨーロッパ諸国では、古くから
ホスピスケアは地域医療システムとして位置づけられ、地域を基盤とした体制を整備して
きた。イギリスの地域緩和ケアサービスは、多くのチャリティ団体によって支えられており、
ホスピス・Macmillan Nurse・Marie Curie Nurseなどの機関が存在する。ホスピスの運営
主体は、7割以上がボランタリー団体であり、国営サービスであるNHSが運営主体であるもの
は極めて少ない。ホスピスの機能には、入所サービスだけでなく在宅ケアサービスも含まれ
ており、在宅ケア部門やデイケアが併設されている。運営資金は、6割以上が寄付によって
賄われ、公的資金は3割以下である。NHSからの干渉が少なく柔軟な運営ができるため、患者・
家族ニーズに対応した細やかなサービスや、独自のスタイルを保ちやすいという特徴がある。
だが近年、NHSは在宅緩和ケア体制の強化と、ボランタリーホスピスへの支援への関与に力を
入れるようになっており、両者はこれまでと異なる関係性を構築しながら、地域における
緩和ケアサービスの在り方を模索している。
日本では、2006年に第3次対がん総合戦略研究事業がん対策のための戦略研究「緩和ケア
プログラムによる地域介入研究」が始まり、在宅における緩和ケア体制にむけた取り組みが
本格化した。2008年から鶴岡地域、柏地域、浜松地域、長崎地域で緩和ケアプログラムを
用いたプロジェクトが行われ、緩和ケア体制のモデルケースを検討しているところである。
そこで本研究は、イギリスにおける在宅緩和ケア体制の政策・実践の変遷を整理し、現在の
状況を明らかにすることを通して、在宅緩和ケア黎明期である日本への示唆を得ることを
目的とする。
イギリスでは、NHSが急性期医療とリハビリを中心とした包括的な医療を提供して
いる。一方で、地域緩和ケアの領域においては、ボランタリー団体が中心的役割を担って
きた。ホスピスケアの起源を振り返ると、地域のカトリック団体が、慈善活動として貧困や
孤立の状態にある人々をケアしていた。これが各地に拡大したという歴史があり、わが国
とは異なる社会的な背景の中で発展してきたといえる。本研究では、イギリスと日本の
歴史的・政策的な相違点を明らかにしたうえで、次の2つの視点から研究を進める。
①緩和ケア政策の動向について。②地域緩和ケアサービスにおける現場レベルの実践
事例分析。特に、本研究ではボランタリーホスピスに着目する。
研究の方法は、文献研究とし、緩和ケア領域の政府およびボランタリー団体の報告書を
中心に分析した。また、日本とイギリスの緩和ケア領域の先行研究も調査対象とした。
日本社会福祉学会研究倫理指針に則り、調査研究を行った。
4.研 究 結 果 イギリスの政策動向をみると、国レベルのがん対策総合計画である‘National End of
Life Care Initiative/Strategy’において、在宅死亡率の増加が政策目標として掲げられ
ている。だが、現状では在宅死亡率は毎年減少傾向にあり、期待通りの結果が出ておらず
改善が求められているといえる。
Help the Hospices, Local Area Agreement, Commission for the Compactでは、NHSや
Primary Care Trusts(以下、PCTとする)とボランタリーホスピスとの連携強化に向けた協議
が行われており、Cancer Networkの運営、CompactやIndicatorの活用などがみられる。また
連携対象としては、福祉・保健・教育などの行政機関にとどまらず、一般市民やボランティア
団体も含まれており、これらの人々をサービス提供者として位置づけている。このような、
包括的なネットワークを目指している点は特記すべきことである。地域連携の強化を図る
ツールとしては、Gold Standards Framework,Liverpool Care Pathwayが活用され、業務の
標準化を図り患者家族のニーズに沿った地域ケアを目指している。
次いで現場レベルの実践事例を分析した結果、サービス内容や質においては、ボランタリー
ホスピスとPCTが積極的に関わりを持ったことにより、良いアウトカムを出していることが
明らかになった。特に、財政面において寄付を主とするホスピスにとって、インフレや景気
変動の影響を以前よりも回避できるようになり、運営上の安定性が増したとの報告がみられる。
ボランティア活動に関しては、ホスピスが長年の活動を通じ培ってきたボランティアマネジメント
手法が確立されており、ホスピスの主体的な活動が尊重される傾向がある。課題としては、
緩和ケア領域における社会的孤立の予防に向けて、PCTは‘Diversity and Human Rights Scheme’
を、ホスピスは‘Equal Opportunities Policy’を公表しているが、現場レベルでの新たな
サービスプログラムの開発が遅れていると指摘されている。
最後に、イギリスの動向を通して日本の取り組みを検討する。わが国の地域緩和ケア体制
においても、積極的な連携強化が図られている。しかしながら、これらは、医療福祉専門職
を中心としたネットワークであり、一般市民はあくまでサービス受益者として捉えられる場合
が多い。今後の課題として、在宅緩和ケアの促進に伴い、周囲との交流が減少する可能性が
高まり、社会的孤立や孤独に陥るリスクが増えると予想される。この対応策として、慣習や
文化といった共通のプラットフォームを持つ地元住民が、患者と同じ立場で支援していく
ことが有用であると考える。専門職が持つ「専門知」と、一般市民が持つ生活や地域に根付いた
「一般知」の双方を活用することで、より質の高い緩和ケアサービスを提供できるように
なるのではないだろうか。