1960年代の社会福祉領域における社会開発の議論に関する研究
-議論の経緯と我が国における生活改良普及員の活動に関する一考察-
○ 関西福祉科学大学 倉持 香苗 (会員番号5372)
キーワード: 《社会福祉》 《社会開発》 《生活改良普及員》
社会福祉と他領域との連携が学問や実践場面で数多くみられるようになってきた。
中でも、国境を越えた国際的な研究においては、東アジアをはじめとする各国と連携した
社会福祉研究や、他領域を視野に入れた共同研究がなされている。また、地域を基盤とする
アプローチでは、住民の主体的な活動の在り方やアプローチの方法論が問われている。
さらに、これまで着目されてきた地域の変化や、住民の意識や態度の変容のみならず、
その活動に関わる者(外部者)の意識や態度の変容も視野に入れられるようになってきた。
近年では、社会福祉におけるアプローチと社会開発におけるアプローチの融合が試みられて
いる(注1)。
しかし社会福祉領域における社会開発のアプローチの検討は、1960年代にはすでにその
議論がなされていた。その背景には、国連では地域住民の主体的な参加を促すことの重要性
が議論されており、わが国においても、高度経済成長によるひずみ是正の取り組みがなされて
いたことが挙げられる。こうした背景において社会福祉領域では、国連で議論されていた
社会開発のアプローチを社会福祉領域に導入できないかという議論が活発におこなわれて
いたのである。しかし、社会開発のアプローチが1960年代の我が国に導入されていなかった
のかというと決してそうではなく、生活改良普及員が社会開発のアプローチに近い活動を
展開していたのではないかと考えられる。
本研究は、こうした1960年代の背景と社会福祉を中心とする各領域に焦点を当てながら
社会福祉における社会開発に関する議論の整理をした上で、地域で自主的な協力を通じて
生活改善を実行する活動を展開した生活改良普及員の活動内容を分析し、社会福祉と社会
開発のアプローチをめぐる議論について考察したものである。
(注1)例えば、2003年度に日本福祉大学の21世紀COEプログラムが「福祉社会開発の
政策科学形成へのアジア拠点」をテーマに採択されている。
これまで本研究は、1960年代における社会開発と社会福祉、さらにわが国における
政策の動向について文献と論文を収集しながらおこなわれた。その結果、1960年代は生活
改良普及員が各地域で活発な活動をしていたことが明らかになり、当時議論されていた
社会開発のアプローチを視野に入れた地域活動を実践していたのは、生活改良普及員では
ないかということが考えられた。
そこで今回の研究では、これまで整理をおこなってきた社会福祉と社会開発をめぐる
議論の展開と社会福祉領域以外における当時の動向を照らし合わせ、生活改良普及員の
具体的な活動内容を検討し整理することを試みた。分析の枠組みは以下の通りである。
①1960年代における社会福祉と社会開発
・当時、社会開発のどういった点が注目されていたのか
・社会福祉に社会開発のアプローチを取り入れようとした議論の発展
②1960年代における他領域の動向
・政治、経済、公衆衛生(地区組織活動)など
③生活改良普及員の活動の実際
・生活改良普及員の活動の経緯
・1960年代における生活改良普及員の活動内容
日本社会福祉学会の研究倫理指針に従って研究をおこなっている。本研究は文献調査 による研究が中心であり、報告の際の配布資料では参考・引用文献の原著者名・出版年・ 文献・出版社・引用箇所を明示する。
4.研 究 結 果 これまで、1960年代の文献と論文を収集し整理しながら、社会福祉と社会開発をめぐる
動向をまとめ、当時コミュニティ・デベロップメントの考え方が社会福祉領域で議論されて
いたにも関わらず、その議論は現代にまで続かなかったことを整理してきた。
引き続き取り組んだ本研究においては、その議論が現代に継承されなかった理由は、
社会福祉領域が制度政策を重視するようになってきたからではないかということが考えられた。
また、1960年代当時、先進国である日本に社会開発は必要ないとされながらも、住民が
主体的に地域で活動する社会開発のアプローチが注目されていた中で、生活改良普及員が
住民の活動を促す実践を展開し、グループの組織化やリーダーの活動の在り方について深めて
いたことが整理された。
こうしたことから、社会福祉領域における社会開発の論議は近年新たに注目されるように
なったのではなく、1960年代からの議論が継承されなかったこと、社会開発のアプローチを
我が国の社会福祉領域に取り入れようと試みられたものの、実はわが国では生活改良普及員が
地域を基盤とする活動を展開していたということが明らかになった。社会開発のアプローチと
いうと国外における実践に目を向けがちであるが、1960年代当時の我が国における地域を基盤
とした活動を振り返り、整理していくことも必要であると考えられる。