バイステックにおける自己決定の原則再考
-ソーシャルワークにおけるFriendly VisitingとFriend-
徳山大学 樋口 淳一郎 (会員番号5211)
キーワード: 《自己決定》 《ソーシャルワーカー》 《友愛訪問》
1899年に発行されたMary Ellen RichmondによるFriendly Visiting Among the Poor: A Handbook for Charity Workers
は2009年現在においても未だに示唆に富む内容をもつ書物である。初期のソーシャルワーカー(ハンドブックにおいては
チャリティ・ワーカーと名称されている)が、スラム街等貧困家庭へのいわゆる友愛訪問を実践したことは周知に属する。
一方、1957年に上梓されたFelix BiestekによるCasework Relationshipにおけるソーシャルワークにおける七つの原則に、
「自己決定の原則」が含まれていることは社会福祉学関係者一同の知るところである。
この両者における叙述において、ソーシャルワーカーはクライアントにとって愛される存在であるかどうか、
一定程度の疑問が感じられる。
ソーシャルワーカーがクライアントの側に立つこと、クライアントの権利擁護を実践すること、クライアントの自己決定を
尊重すること、クライアントとソーシャルワーカーは人間関係においてあるいはCasework Relationshipにおいて、対等の存
在であることは社会福祉に関係する者の決して否定してはならないソーシャルワーク実践上、最大の原則の一つであることに
疑う余地はない。
ところが、初期のソーシャルワーカー(Charity Worker)における諸認識・姿勢等においおいて、疑う余地はないと一般に
考えられているにもかかわらず、疑う余地あるいは再考の余地が残欠の如く散見される。
そしてこの事実は、Felix Biestekにおける「自己決定の原則」が実際には多くの制限をもつことと重なり
ながら、一つの事実を告げるように考えられる。
ソーシャルワーカーはクライアントの側に本当に立っているのであろうか?
以上の命題に関する考察について考察しなければ、ソーシャルワーカーの立脚点が確実なものではな
くなる。ソーシャルワーカーの立脚点は一般に考えられている如く、確実なものであるかどうか考察を試みる。
以上が、今回の発表における研究目的である。
本研究の視点とは、ソーシャルワーカーが善意の存在であると考えられていること、ソーシャルワーカーは「クライアントにとって」
善意の専門職であること、ソーシャルワーカーはクライアントの側に立脚すること等、既成的な諸前提とされているソーシャルワーク
における命題に関する「再考」が必要であると考える視点である。
本研究の方法は日本語における翻訳の課題、日本語表記のもつ課題、
したがって原著における表記に遡及しながら、再びソーシャルワーク実践に帰還する方法を採る。
本研究は、基本的な人倫的配慮を一切欠いていない。学問的な観点、社会科学的な観点、社会福祉学的な観点、 社会福祉学会における観点等、全面的な倫理的配慮を具している。
4.研 究 結 果 ソーシャルワーカーはクライアントの側に立つ、ソーシャルワーカーは愛するべき存在である、ソーシャルワーカーは
人権擁護の実践者である等、規定的かつ基底的な諸命題が一般に考えられている如き完全なる正当性をクライアントにとって
は必ずしももたず、一定程度の疑わしさのなかに存在していることが確認される。
以上の諸命題に関する諸検討から、現時点において必要であると考えられる次なる考察の段階は、ソーシャルワーカーにおける
常識の再編成のための考察ではないかと考えられる。
ソーシャルワーカーはクライアントの側に立つといわれながら、実際にはソーシャルワーカーと呼称されるが如く、実際には
ソーシャルの側に立っている。
ソーシャルワーカーは愛することのできない専門職であるといわれる場合がある。
なぜ、ソーシャルワーカーはunlovableな存在であるか、なぜunlovedな存在であるか、その原因の一端は、ソーシャルワーカー
は本質的にクライアントの側にではなく、ソーシャルワーカーとしてソーシャルの側に立っているからではないか。
考えつくされたように思われる思考過程をみずからの思考過程として再考を試みることは利益が多いと同時にソーシャル
ワーカーの現在にとって、強く反省を要求しているのではないか。
国際ソーシャルワーカー連盟定義の如く、ソーシャルワーカーの本質は流動的であり、固定しない。そこにソーシャルワーカー
の本質的な苦難がある。