社会福祉事業法(1951.3)の立法契機と立案過程の検討
―福祉事務所など公的福祉行政の領域に絞って―
所属なし 寺脇 隆夫 (会員番号0482)
キーワード: 《社会福祉事業法》 《福祉事務所》 《社会福祉主事》
第二次大戦後の占領・改革期における社会福祉制度の誕生・形成を考える一環として、1951(昭和25)年 3月制定の社会 福祉事業法(2000年、社会福法法と名称変更)を取上げる。本法は、社会福祉制度全般(1)にわたる組織法としての性格を 持つ。その立案過程の全体像を明らかにする前段として、本発表では本法中の公的福祉行政にかかわる領域に絞って、その 関係規定(2)の形成過程を解明することを目的とする。
2.研究の視点および方法公的福祉行政にかかわる規定は、対象別の社会福祉立法(主に給付法)や先行の社会事業法(1938)にも見られたが、 その多くは本法によって登場した。それらの諸規定は、この時期に形成された社会福祉制度の〈要〉であり、それを特徴 付けるものと言える。本発表では、関連の文献資料や先行研究を概観・検討した上で、木村文書資料中に含まれる関係史 資料(3)を紹介・検討し、立法契機と立案過程の解明を試みたい。
3.倫理的配慮研究内容で、倫理的配慮の問題にかかわるようなものはとくにない。
4.研 究 結 果(1)関係の文献資料・先行研究の概観と課題
①関係の文献資料概観
主に立法当事者・関係者による文献や回顧などは多い(4)が、資料類の公表はわずか(5)しかない。それらを繋ぎ 合わせて、全体的な経緯・経過を知ることは可能である。しかし、法の立案過程に直接かかわるものは、わずかしかなく 断片的である。
②先行研究の概観
先行研究はある程度見られる(6)。その内容は、先行法である社会事業法(1938)の戦後における改正動向、さらに 社会事業基本法の立法提起の背景や経緯など(7)に加えて、近年はGHQ資料に基づく検討を含む各論的な検討(8)も 見られる。しかし、史資料の制約の故か、法の立案過程(とくに公的福祉行政領域)の解明は、なされていない。
(2)立法の契機と立案から成立に至るまでの経緯/その概観
①立案への前史/立法契機をめぐって(資料1~資料3参照)
主に民間社会事業の経営問題から提起された社会事業法改正の動向(9)は置いて、厚生省社会局を立法へと動かした 直接的契機として、先行研究の多くは49年11月末のいわゆる六項目目標(10)をあげる。それに異論はない。と同時に、 そこに至る経緯や過程の中に、すでに立法への課題が胚胎し、提起されていたことが指摘されるべきである。それは、公 的保護事務を担うのは誰か、どの機関なのかの問題である。この問題は、皮肉にも民生委員法制定(48.7)(11)以降、 次第に問題化していた(12)のである。49年7月以降、社会局内でもその改革方式の検討に着手していた(資料1) (13)。そんな中で、8月半ばには埼玉県で浦和市事件(資料2)(14)が起きる。その収拾のための PHWとの折衝を経て、10月には発社72号通知(15)が出される。そこでは、有給吏員主体の新方式を全国 諸都市で実施することが打出されている(16)。 あわせて、10月には福祉地区設置の検討が行なわれ、有給吏員を機能させる行政体制を如何に創出するかが課題(資料3) (17)とされる。このようなPHW関係者も含めて展開された動向を、いわば総括的にまとめた方針が、六項目目標で あった(18)。以後、厚生省社会局がどのように具体化・立法化して、実現するかが問われる(資料3-(5))。
②具体的な立案への着手から一年後の国会提案まで(資料4~6参照)
社会事業基本法案と題された最初の法案(①案)と法案要綱(②案)(19)が、社会局庶務課で作成されたのは 1月下旬である。しかし、この時期には先行していた生活保護法案(20)がほぼ仕上がり、国会提案を目前にして 社会局は大童だった。ただ、同法にも主事設置や福祉地区は関係した(21)から、局内での調整はなされたようで ある。5月に生活保護法と主事設置法が成立し、名称も④案以降、社会福祉事業基本法案と変わって、立案過程は新局面 を迎える。とくに、主事設置が確定(22)したことで、一歩が進んだ。他方、保護の実施機関が市町村となり (23)、問題も残された。ともあれ、7月には福祉地区・福祉事務所構想が具体化し、試案もまとまる(資料4) (24)。秋に入って福祉地区・福祉事務所構想はさらに練られ(資料5)、社会保障制度勧告の支援(25) も受けて、方向は固まる。他方で、12月にはその設置主体をめぐる地方自治 庁の反対意見(26)が打出され 、それへの対応・調整に苦慮する(資料6)こととなる。結局、翌51年1月には、修正・妥協が図られ、名称は社会福祉事業 法案に変わる。さ らに閣議決定に至るまでにも譲歩があった(27)が、3月13日には国会提出に漕ぎ着けた。
(3)法立案過程での公的福祉行政関係条項の変化
立案過程での法案は、判明しているもので10点存在する。しかし、法案全体を見ることが出来るのは7点のみで、残り3点 は一部の章の抜粋である(28)。
①検討対象の各法案の章構成の変化(資料7参照)
それらの各法案の章構成の変化状況を知るために表1を作成した。法案名称の変化に 対応して、ほぼ三つに大別できる。 ③案は①案・②案を再編したもの、また、⑥案と⑦ 案はやや異なるものがある。また、⑤案以降は半年もの空白があり、その 間の三つの案 の全文が判明していないことにも留意しておきたい。
②公的福祉行政とその機関・職員にかかわる三つの規定の変化
ここでは、公的福祉行政にかかわる問題(29)の中核である三つの規定(ⅰ公的責任・公 私分離、ⅱ福祉地区・ 福祉事務所、ⅲ社会福祉主事)(30)に絞り、それらの関係条項が法 立案過程でどのように変化し、国会に提案され 、成立法となったかを検討する。
ⅰ公的責任・公私分離の関係条項(資料8-(1)参照)の変化の程度は、表2に示す。当初から明示されていた公的(国・地方 公共団体)責任と公私分離原則(31) は、④案まではともに存在した。しかし、⑤案では公的責任条項が削除され、公を含む 「行政準則」という形となった。さらに、⑥案では私人と並ぶ準則となり、⑦案では「事業経営の準則」という公私分離原則の みとなった。このような公的責任理念の削除は、前年に成立した身体障害者福祉法 (49.12)(32)でも見られた。
ⅱ福祉地区・福祉事務所の関係条項(資料8-(2)参照)は、事実上新たな専門行政機 関の創設(33)を狙ったもの で、法の核心部分である。その名称は、①案~③案では民生地区・民生安定所として登場し、④案~⑥案では福祉地区・福祉 事務所となったが、⑦案では章名も含めて「福祉に関する」事務所(34)となり、固有名称を持つ機関(行政庁)として の性格が失なわれている。それに従って、表3が示すように①案→②案と④案→⑤案を除き、それ以外の段階での変化の程度 はいずれも大きくなる。とくに、その設置主体が当初の②案までは都道府県(と特定市)に限られたが、③案では一般市にも 拡大し、⑥案以降では町村の設置も可能(35)となった。これらは、あいつぐ妥協の産物だった(35)。なお、所員 の定数は③案(組織条項)段階からある(大臣委任)が、法上で規定されたのは⑥以降(37)である。
ⅲ 社会福祉主事の関係条項(資料8-(3)参照)だが、その職名は、①案:社会事業主事→③案:社会福祉職員→④案: 社会福祉主事と変わった。それを除けば、早くから固まった(表4)と言える。生活保護法と社会福祉主事設置法が先行し た故であろう。なお、最終段階で福祉主事の定数(基準)条項は削除(38)されている。
(4)おわりに
立案過程は最終段階まで、妥協や譲歩が目立ったが、国会に提案された法案は3月26日には可決・成立する。しかし、 その後も10月の法の全面施行(=とくに福祉事務所の発足)までは、知事会の延期論(39)などなお波乱があり、難航 するのである。
* 本発表要旨の註記部分と表および関係資料は、発表当日に会場で配付させていただく。