自由研究発表歴史3  畠中 耕

農村経済更生運動と農村社会事業に関する考察
-養蚕地群馬県の経済更生計画を事例として-

近畿医療福祉大学  畠中 耕 (会員番号4410)
キーワード: 《生活改善事業》 《教化事業》 《戦時厚生事業》

1.研 究 目 的

本研究は、昭和恐慌期の救農政策の支柱とされた農村経済更生運動の中で農村社会事業が担った機能を明らかに することを目的としている。社会事業史の先行研究では、農村経済更生運動、更には同運動期に展開された農村社会 事業に関しては次のような評価が一般的である。つまり、農村社会事業を通して農民をファシズム体制の下に組織化 する役割を担ったという評価である。農村経済更生運動を精神運動として評価するならば、その評価は極めて妥当で あろう。しかし、農村経済更生運動の中で農村社会事業が担った機能の実態についてはそれほど明確には解明されて いない。筆者は本研究を通して農村経済更生運動が農村社会の近代化を志向した一面を評価すると共に、同運動の中 で農村社会事業が担った機能の実態ついて明らかにしたいと考えている。その際、次の点に注目したい。
  農村経済更生運動の中で農村社会事業が特に深い関係を持つ項目は、負債整理事業と生活改善事業であるといわ   れている。本研究では、群馬県を事例として同県内指定町村で策定された経済更生計画における生活改善事業計   画を分析することで、農村経済更生運動と農村社会事業の関係性を明らかにしてみたい。更には、時局が戦時体   制に移行する過程において、同運動の展開過程と生活改善計画の推移についても検討してみたい。この作業によ   って、農村経済更生運動と農村社会事業の関係及び実態について解明できるものと考える。

2.研究の視点および方法

本研究では、群馬県立文書館に所蔵されている昭和9年度から昭和14年度における「経済更生基本調査並計画書」 を分析対象とする。同資料の分析を通して、群馬県の指定町村の経済更生計画における生活改善計画や教化事業計画 の実態、更には同計画中の農村社会事業の位置・機能を明らかにしたい。

3.倫理的配慮

本研究は歴史研究の分野に属する。日本社会福祉学会研究倫理指針に基づき、先行研究と自説を厳密に峻別し、 引用については出典を明確にする。

4.研 究 結 果

経済更生運動の発動当時から経済更生計画における生活改善事業の内実は、冠婚葬祭等の冗費節約、保健衛生改 善、台所改善、栄養改善等が中心事業であった。このような事業計画が主に講話会や講習会の開催による思想普及 を基本的技術としていた以上、教化事業と生活改善事業の事業内容は実質的にリンクすることになる。その一方で 方面委員は、「奉仕的精神の拡充」の役割を主に担わされることになった。方面委員は、経済更生運動の原則であ る「隣保共助」のイデオロギーを補完するイデオローグ的役割を担っていたと共に、隣保共助による貧困者(貧農 層)救済を農民相互に確実に浸透(転嫁)させる役割をも担っていた。
  更に、経済更生計画における教化及び生活改善事業において方面委員が期待された機能には、単なる「奉仕的 精神の拡充」といったイデオローグ的役割だけではなく、共済施設による貧農層の直接的救済活動や慰問活動等の 軍事援護活動も含まれていた。つまり、単なる精神教化事業のみならず実質的な救済機能の発露が方面委員には期 待されていたといえよう。
  それと同時に保健衛生や台所改善、栄養改善といった公衆衛生思想の普及による予防的措置が経済更生計画の 生活改善の一環として計画されたことにも注目する必要がある。つまり、農村経済更生運動が衛生組合の結成 を促進し、農村生活の因習を打破して農村生活衛生を向上させるきっかけを作ったことも否定できない。この 事業領域もまた、農村医療を中心とした農村社会事業が機能した領域であるとともに、経済更生運動の展開過 程の中で戦時厚生事業への変質を最も端的に表している分野であったとみなすことができる。
このことから、農村社会事業が経済更生運動において担わされた機能は、精神教化と実質的な生活改善事業の両面 から理解する必要があると結論づけることができる。

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