自由研究発表歴史2  平田 勝政

1920年代のハンセン病問題と社会事業(第3報)
-民間団体の隔離主義運動の成立・展開過程の検討-

長崎大学  平田 勝政 (会員番号2816)
キーワード: 《ハンセン病》 《日本MTL》 《希望社》

1.研 究 目 的

筆者は、これまでの第1報(2007年)・第2報(2008年)において、日本(植民地を含む)のハンセン病社会事業の在り方 に決定的な相違をもたらす隔離監禁主義と治療解放(開放)主義の相克に注目して報告してきたが、本研究では、前者の隔離主義 の運動に限定して、1920年代中頃から1930年代初頭にかけて「救癩」「癩病絶滅(根絶)」を標榜する民間運動の成立・展開過程 とその特質を解明することを目的とする。

2.研究の視点および方法

1920年代の主に後半期に成立・展開する日本MTLや希望社による民間の「救癩」運動についてはこれまでに森幹郎氏(1963 ,1996)や藤野豊氏(1993,2001)等の研究で一定の解明がなされているが、中央社会事業協会等の動向も含めて、各民間団体の運動 の成立・展開と団体相互の関係性、総じて隔離主義の民間運動の全体像については十分な解明がされていない。特にハンセン病問題 史上きわめて重要な1930年前後の時期の実証的研究が手薄である。そこで、本研究では、上記先行研究をふまえつつ、①日本MTL 、②中央社会事業協会等の社会事業界、③希望社、に注目して上記の課題を検討していきたい。

3.倫理的配慮

すでに「癩」などの表記に見られるように、人権尊重の見地からすると不適切な用語が使用されているが、以下でも歴史的用語 として原文のまま使用することをお断りしておく。

4.研 究 結 果
(1)日本MTL・中央社会事業協会等と「癩予防協会」の関係について
  日本MTL(理事長・小林正金)は、賀川豊彦一門のキリスト者による全生病院訪問(1924年)を契機に1925年9月に光田健輔 (非キリスト者)を理事に含めて発足する。その「救癩」運動の具体的展開の概略は、拙稿(2009)「日本MTL(日本救癩協会) と機関誌『日本MTL(楓の蔭)』」(『近現代日本ハンセン病問題資料集成(補巻16~19)』別冊解説)に譲り、ここでは先行研 究で解明されていない日本MTLと中央社会事業協会等との関係に限定して、研究結果を中央社会事業協会等の社会事業界の動向 に包含させて記述する。
  中央社会事業協会は、1928年3月19日に同会主催で「癩問題研究会」(第一回)を開催した。出席者は、渋沢栄一、窪田静太郎 、大野緑一郎、富田愛次郎、小澤一、高野六郎、光田健輔、山室軍平、瀬川八十雄、小林正金、松井茂、三上ちよ、原泰一(下線は 日本MTL理事)で、「癩問題」に対する中央社会事業協会として組織的対応の討議が開始された。同年4月18日には、新たに鈴木 恂が加わって「第二回癩問題研究会」が開催され、協議の結果「全国に於ける癩患者の救護を徹底せしむるため法規の完成及び施設 の拡充を促進する目的をもって癩予防協会の新設を申合せ、趣旨会則等の草案は委員に一任、改めて協議すること」を決定した。 この「癩問題研究会」に日本MTLの幹部(小林理事長・鈴木恂ら)が参画していることが注目される。さらに1928年12月開催の 第一回全国救護事業会議では、「全国の癩患者を悉く健康者より隔離し此れが伝染を防ぐ根本的撲滅方法を確立すること」と「各 階級の患者を充分療養せしむるためのに徹底的救療設備を完備」することが決議され、中央社会事業協会長の渋沢栄一が代表者と して内務大臣に建議している。注目点は、下線部に示す当初の「救護」から「隔離」への変化である。1929年4月5日には、大阪 社会事業連盟主催で「癩予防撲滅に関する全国協議会」が開催され、「癩予防協会設立」等8項目が決議され、その筋に建議さ れた。この全国協議会の協議でも日本MTLの小林理事長が出席し、「自由療養地区設定促進」等を積極的に提案している。「癩 予防協会」は、1931年3月に設立されるが、その設立にいたる過程で、中央社会事業協会と日本MTLは1928年の設立議論開始の 当初から人的に密接に関係していたのである。
(2)希望社(後藤静香)の運動と「癩病絶滅(根絶)期成同盟」の役割
  皇室中心の社会教化事業を展開していた希望社社長の後藤静香は、1924年の「希望」8月号において「恵まれぬ人々」と題す る論稿で誌友15万に「癩患者の問題」を提起し、「救癩」運動を積極的に展開する。以後、1926年6月に「癩病撲滅運動の音楽と 映画の会」(於・日本青年館、入場者2500名)を開催し、その純益7000円を患者住宅5棟増築に充てる。1929年11月に希望社全日 本聯盟を結成して以降、運動が全国展開される。1930年8月には希望社東京療友会が『この世の中で最も不幸な人々は!?』と題す るパンフレット1万冊を作成し、翌9月21日には同療友会主催で「癩病」絶滅資金募集のための「音楽と舞踊の会」(於・日本青 年館、入場者3000名)を開催して、純益を全生病院内の患者組織の財団(全生財団)に寄付している。同年11月30日には希望社群 馬聯盟も音楽舞踊の会を催して寄付を集めている。1931年3月には名古屋市公会堂で「癩病絶滅大講演会」が開催され、同年5月 には「癩病絶滅(根絶)期成同盟」の結成(会長・後藤静香)が準備される。パンフレット『日本国民に訴ふ』を作成して、1931 年6月25日(皇太后陛下の誕生日)を佳日として全国各府県一斉に「癩病絶滅(根絶)期成同盟」設立し、全国的運動の展開が目 指された。その6月25日の中心的講演会が東京・日比谷公会堂で開催され、後藤静香、安達謙蔵(内務大臣)、光田健輔が講演を おこなった。
  結論として、1931年6月25日開催の希望社主導の「癩病根絶期成同盟会」設立は、1920年代の民間「救癩」運動を集約し、 1930年代の官民一体の「癩予防デー」「無癩県運動」の基盤を形成したといえる。そのすべてに光田健輔とその隔離主義が強く影 響していた。
(付記)本研究は、2009年度科学研究費補助金(課題番号20530507)による研究成果の一部である。

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