戦前期の社会事業における民間助成財団の意義と役割
-財団法人原田積善会の助成実績から-
文京学院大学 長谷川 真司 (会員番号6363)
キーワード: 《民間助成財団》 《社会事業》 《戦前期》
日本において民間助成財団の歴史に関する研究は戦前期に重要な役割を果たした時代があることが認識されて いるにもかかわらず、その社会的意義や役割が研究で取り上げられることは少なかった。しかし、公益法人制度の 改革や地域を基盤としたNPOの資金の問題や公的な予算削減などの社会状況において民間助成財団の意義や役割につ いて見直されているなか、民間助成財団の活動が活発であった戦前期における助成財団の意義や役割に関して明らか にし改めて検証することは重要である。本研究では戦前に活躍した民間助成財団のなかで社会事業に対して積極的に 助成をした大規模財団である財団法人原田積善会1 を取り上げ、その助成内容や助成実績から助成の実態を明らかにし 、助成決定に影響を与えた要因を踏まえながら戦前期における民間助成財団の意義と役割に関して考察する。
2.研究の視点および方法財団法人原田積善会では、設立から現在までの90年をその資金の関係と助成の特色などから5つの時期(①創設期
(大正9年~昭和5年)、②戦前最盛期(昭和6年~昭和20年)、③戦後復興期(昭和21年~昭和39年)、④雌伏期(昭
和40年~平成9年)、⑤平成再盛期(平成10年~平成20年))に区分している2 。本研究では、財団の意義と役割が最も
大きかった創設期と戦前最盛期に焦点をあてる。
財団法人原田積善会では、助成金交付カードで設立当初から現在にいたるまでの助成実績を助成先約1,500団体及
び個人に対して8,617件(平成20年末まで)の記録として管理してきた。しかし、紙での記録のみの管理であったため、
複雑な分析が難しい状況であったが、今年度原田積善会から委託を受けこれらの記録をデータベース化する事になり
、そのデータを基に本研究に取り組んだ。
助成記録カードに記録されている個人の名前や団体の名称に関しては、データベース化に際し財団法人原田積善会 との委託契約において、学術的に利用する場合に限り情報の利用をできるものとし許可は得ている。しかし、戦前期 の助成の申請や交付の際に助成の内容に関する情報を公開する旨の承諾を得ているわけではないので、個人及び団体 に対して不利益が生じないように倫理的配慮をする。
4.研 究 結 果財団法人原田積善会が戦前期に社会事業に対して果たした役割の大きさに関しては、金額的なインパクトからも
明らかにされている。大正9年から昭和19年の間に合計7,703件総額4千8百万円を助成し、そのうちの約6割の2千8百
万円が社会事業に対する助成であった。
財団法人原田積善会では、設立に際し設立理由書とともに寄附行為は定められていたが、助成プログラムが確立
していたわけでなかった3 。寄付行為のなかにある目的や業務において、設立にあたっての助成の重点として考えてい
た目的にある中産階級で疾病その他不慮の災害にあった人々に対する保護救済に関しては、個人に対する助成は実施
されているが、中産階級の人々に対する保護救済に特化していたわけではないし、多くは社会事業団体に対する助成
であった。また、業務にある神社仏閣の維持や善行に対する表彰などに関しては、あまり助成されていない状況があ
った。これらのように寄附行為に沿った形での助成が行われていたわけではなかった。
創設者原田二郎が存命の頃(創設期)は、井上馨、大隈重信、清浦奎吾、原敬、尾崎行雄、後藤新平、床次竹二
郎などと親しい関係にあり、意見交換をするなかから助成内容が決定されていたと思われる4 。また、理事、監事、
評議員には関係者がなっていたため実質的には原田二郎が一人で助成先を決定したとしている。この事は、助成記録
がきちんと整備されたのが原田二郎の死後であることや、寄付金申込記入帳も原田二郎死後の翌月からつけられてい
ることなどからも明らかである。
原田の死後(戦前最盛期)については、昭和9年に役員が新たになり、財団の実務を実質的に担っていた久田益
太郎が会長になり会を取り仕切る事になった。この頃の原積善会の助成のスタンスは、一部の大規模な助成に関して
は関係が強かった中央社会事業協会から持ち込まれるケースや、政策に関連した助成に対して財団として取り組んだ
ケースもあったが、基本的には独自のスタンスで助成をしていたとされる。その際の助成に関しては、顧問や評議員
に学界、財界、芸術分野に精通し力をもった人々がいたため、これらの人々の紹介で助成の依頼が持ち込まれたりし
ていたと思われる5 。また、幅広く会の存在が知られるにつれ、全国から直接助成の申請がましていき、クチコミで助
成が広がっていったとされる。また、戦前から戦後そして現在まで続く傾向として、役職員の在職年数が長いため助
成先の団体との関係性が深いことがあり、このことが長期の継続した助成が多いことにも関係しているようにも思わ
れる。
財団法人原田積善会では、これらのようにきっちりとした助成プログラムがなく自由である事で逆に柔軟性をも
った特徴的な助成を実施することが可能であったともいえる。それが、社会事業で大きな役割を果たした大型な助成
財団である恩賜財団慶福会への20年に渡る合計300万円の助成や、中央社会事業協会への毎年36,000円を100年間助成
することを決めるなど歴史的に助成財団として社会的に意義のある助成を実施し社会事業を支える役割を担うことを
可能にさせたのであろう。
本研究では助成実績からあらためて助成の内容を検証することにより、財団法人原田積善会の助成について考え
るだけでなく、戦前期の社会事業に対して民間助成財団の果たした役割や意義に関しても明らかにするきっかけとす
る。同時期に社会事業に対する助成で重要な役割を果たした恩賜財団慶福会や安田修徳会などの助成財団との関係や
行政からの資金の流れなどを明らかにしながら、戦前期の社会事業における民間助成財団の役割と意義に関して現在
研究を進めているので今回は少しふれながら今後明らかにしていきたい。
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1 財団法人原田積善会は、原田二郎が1920年に全資産1,020万円(企業物価戦前基準指数でみると現在の
貨幣価値の約100億円程度)を投じて設立された。
2 助成財団史研究会(2009.4.13)における原田積善会戸田現理事長資料から
3 林雄二郎・山岡義典著(1984)『日本の財団:その系譜と展望』中公新書、川添登・山岡義典編(1987)
『日本の企業家と社会文化事業:大正期のフィランソロピー』東洋経済新報社
4 助成財団史研究会(2009.6.15)における原田積善会戸田現理事長資料から
5 助成財団史研究会(2009.6.15)における原田積善会戸田現理事長資料から