『岡山孤児院新報』から読む岡山孤児院の歴史的変化の研究(続)
吉備国際大学大学院博士課程満期退学 片山 貴夫 (会員番号4785)
キーワード: 《『岡山孤児院新報』》 《活動報告》 《石井十次》
岡山孤児院が社会にむけて発信していたメディアであった『岡山孤児院新報』(以下『新報』と表記)の編集内容・ 論調の変化から岡山孤児院の変化をよみとろうとした(6月キリスト教社会福祉学会発表)が、本研究では石井十次個人の 関心事(明確な思考・方針と思えない、感情の起伏を表現する記述であっても、できるだけ含めることをめざした)と の関係性に焦点をあてて考察した。
2.研究の視点および方法これまでの研究において、『岡山孤児院新報』記事の内容を、①思想(文芸も含む)、②入院者、③出身者、③処遇方法、
④職員による活動報告、⑤財政・支援者に9つに分類したうえで、その内容の変化を考察してきた。
それに加えて、『新報』記事と、『石井十次日誌』(以下『日誌』と表記)など石井個人による記述との関係性を、
Ⅰ:A『新報』に石井個人の執筆がある内容、B『新報』に石井以外の人物による執筆がある内容、
Ⅱ:a『日誌』に記述がある内容、b『日誌』に記述が無い内容
に分類して考察した。
史資料中の未成年者の氏名は原則としてイニシャル表記にした。
4.研 究 結 果ⅰ.思想(文芸も含む)
岡山孤児院創刊当初は、キリスト教の色彩の強い記事が多い。安部磯雄の協力もありキリスト教社会主義の小説『回顧』を掲載
するなど、社会問題にもある程度目を向けた総じて進取の気風を表している。岡山孤児院がキリスト者のネットワークにとって
成り立っていることが前提であった時期が背景である。しかし、キリスト教色の強い記事は減少の傾向を示す。岡山孤児院が一
般社会に認知されたことと関係している。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性は強→弱と変化。
ⅱ.入院者の情報
岡山孤児院が社会に情報を発信するために、当初はあまり大きく宣伝しなかった救済の実績を大々的に宣伝する必要に迫られる。
入院した「孤児」個人の情報を大きく報じるが、廃刊の頃になると、こうしたことはみられなくなる。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性は強→弱と変化。
ⅲ.出身者の情報
出身者の情報についてもⅱと同じような傾向がみられる。岡山孤児院が社会に認知されるとともに、教育成果を宣伝する必要
もあった。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性は強→弱と変化。
ⅳ.処遇方法の情報
処遇方法は、当初さまざまな新方法を試み試行錯誤していることを明らかにする一方で、岡山孤児院要則をまず掲げ自らの社
会的認知に努めている。社会的に認知されたのちはマニュアル化されたものを「岡山孤児院問答」として宣伝している。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性には変化が少ない。
ⅴ職員による活動報告
岡山孤児院のメディアであった音楽幻燈隊については、支援者との関係づくりのため積極的に詳細に報じていたのが、後には
寄付者名、寄付金額の記録だけになる。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性には強→弱と変化。
ⅵ財政・支援者についての情報
岡山孤児院が社会的に認知されて以後は、決算報告を継続的に公表している。
Ⅰ-A,Ⅰ-Bと、Ⅱ:a,Ⅱ-Bとの関係性には変化が少ない。