自由研究発表歴史1  鳥羽 美香

戦前期 浴風園史研究
- 浴風園における保護経過記録の意義-

○ 文京学院大学  鳥羽 美香 (会員番号2910)
社会福祉法人多摩同胞会  小笠原 祐次 (会員番号0921)
法政大学  中村 律子 (会員番号0795)
松山東雲女子大学  曲田 志保子 (会員番号1317)
常磐大学  西田 恵子 (会員番号1970)
岐阜県庁  仁禮 智子 (会員番号6212)
明治学院大学  岡本 多喜子 (会員番号0252)
キーワード: 《養老院》 《ソーシャルワーク》 《処遇記録》

1.研 究 目 的

養老院・養老施設を中心とした養老事業の歴史的展開とその特質を明らかにする目的で一連の研究をおこなっている。その 一環として、戦前期の養老院、養老施設の時代から今日まで続いて運営している全国の施設の入所者情報資料等を分析してい るが、中でも、社会福祉法人浴風会浴風園に関しては、開設(1925(大正14)年)より、1945年(昭和20年)8月までの約2400 ケース分の入所者保護記録収集を既に行っている。
  これらの研究活動の経過報告としては、本学会にて、中村が「戦前の養老院における処遇(ケア)の特質-開園から「救護 法」期までの浴風園の史資料分析-」(第55回全国大会)、岡本が「利用者理解を目的とした個人情報の収集-養老院の入 所者調査の変遷-」(第56回全国大会)として発表している。これらを踏まえ、本学会においては、浴風園における救護法 実施期1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)頃までの入所者記録を中心に事例検討を通して、処遇記録としての保護 記録の意義とともに戦前期のソーシャルワーク(社会事業)実践と記録のあり方、小澤一が意図した個別処遇(ケースワー ク)の実践、方法、成果等の検討をすることを研究の目的とした。

2.研究の視点および方法

 1932年(昭和7年)より1940年(昭和15年)前後の詳細な入所者記録がされていた13例をもとに、検討を行った。入所者記 録は(1)入園者身分帳、(2)要救護者調書、(3)保護経過記録に大別できる。その中で、(1)の入園者身分帳における 記載事項は、氏名、性別、出生地、本籍地、入所前の住所、親族関係、経歴、心身状態の状況など現在でいえば、フェースシー トにあたるものである。(2)の要救護者調書は入園者身分帳と内容が重複するが、入所の可否を検討するために浴風園職員が 実地調査をして聞き取った内容が記述されている。(3)保護経過記録に関しては今日の処遇記録的な位置づけをもつ。本研究 においては、これら3種類の記録の概要をまとめ、入所者の入所に至る背景、保護の必要性に関する検討を行った。それとともに 、処遇記録としての保護経過記録の記載を中心に、記録の特徴を分析し、当時の処遇の視点や、処遇方法などについて検討した 。それらを通してソーシャルワーク(社会事業)実践としての記録のあり方と浴風園における意義を前述の小澤一との関連で検 討した。

3.倫理的配慮

倫理的配慮としては、個人情報に関してはプライバシー保護のため匿名化し、個人が特定できないように事例を加工・修正 して記述している(固有名詞を○□などと表記)。また、本研究は社会福祉法人浴風会に了解並びに協力を得て実施している。

4.研 究 結 果

 13例のうち、男性10名、女性3名である。入所時の平均年齢は72.4歳で、最高年齢は88歳、最低年齢は50歳である。入所 時期は昭和4年から昭和15年に及ぶ時期の事例である。この時期は救護法成立後から太平洋戦争が始まる前の時期で、記録が比 較的詳しく書かれていた時期である。13例の事例検討を、入所の理由・背景とともに、処遇経過、処遇方法という視点で、保護 経過記録の記載を分析した。
  まず、前述の(1)入園者身分帳と(2)要救護者調書をもとに入所の理由・背景を分析した。入所に至る背景としては、 ①関東大震災の影響、②失業など就労上の問題、③疾病、④家族問題などがあげられた。①関東大震災の影響としては、「家屋 全焼。○○公園ニ一週間、菩提寺○○院ニ半ヶ月、○○方ニ半年、○○寺バラックニ収容サレシ・・・要救助者収容所ヲ転々・ ・・」(事例1)、など震災により家屋や家財が消失し、野宿をしたり、避難収容所を転々とした事例は13例中8例あった。
②失業など就労上の問題-事例5では、本人が遊郭住み込み、演芸紹介業など職を転々とした後、一人目の内縁の妻が病気 のため別居、次の内縁の妻□と同棲するがその内妻□も視覚障害となり、養子△吉宅に同居するが貧困のため生活できず、 内妻□を養子△吉に預け貸席業などでまた各地を転々とする。といった経過で最終的に養子△吉が行方不明となり内妻□が 死亡し家財を売却し、入所に至った様子が詳細に記述されている。この事例5のように時には知人や親族に寄宿しながら職 を転々とする社会の下層に生活する高齢者の実態が浮き彫りになった。13例のうち、10例は複数の職を転々としている。
③疾病については「本人ハ次第ニ老衰ニテ生活困難トナリ小作地ヲ失ヒテ青物行商又ハ農事手伝等ヲナシ辛ジテ生活セシガ ・・・」(事例4)、など老衰や疾病のため仕事につけなくなりそれが入所に至る要因になったとみられた事例が8例あった。
④家族問題-「○○(本人)ヲ邪魔者扱ヒシ扶養ヲ至セズ○○大イニ心痛セリ」と養子が扶養を怠り邪魔者扱いをして入所 した例(事例4)がある。また、事例11では、次男が疾病のため生活困窮し本人と意見の衝突があり、「昼間ハ家屋ノ程近 キ前方崖下ニ穴居シ夜間ハ次男方ニ就寝スルコトトナシ居シ」というように昼間は穴居生活をして凌いでいたが、これ以上 は生活困難との判断で入所となった。以上のように、家族、親族の扶養が強調されていた時代であったが、家族等も生活問 題を抱え、扶養しきれない状況が伺えた。
  次に、保護経過記録(処遇記録)の特徴を分析した。分類すると①施設での生活状態、②来訪記録、③病状経過、④家族 関係などであった。事例の記述において本人の問題行動等に対する評価(アセスメント)、それに対する処遇方針がとられて いる。①に関しては、13例のうち、7例に記述されている。その中には、元遊芸師匠の本人が元気のない様子をみて、「三味線 をも借りてやらせると大の好物らしくすっかり元気づいて・・・」(事例1)など、本人の適性をみて援助を試みている例や 、また、本人が今日でいう認知症の症状があり、外出先で寮母のいうことを聞かず、「強情と言はんか我がままと言はんか、 ・・その勝手なふる舞ひには・・処遇困難をしみじみ感ずる」(事例5)など援助の困難さが詳細に記述されている事例もあ った。さらに「同室の○○氏が言ふことをきかないと云って喧嘩の末撲り頭から出血させてもよさうとしない」(事例8)な ど職員が介入して注意した様子や、同じく事例8で、運動会や遠足に参加したことなど園での生活がわかる内容の記述もあっ た。②に関しては、6例に記述されている。その中には「○○ハ○(二男)ノ来訪ヲ切望シ居ルニ付至急出頭スル様手紙ヲ出ス 」(事例6)といった職員の配慮が伺えるものや、「二男○○氏面会アリ。父ノ元気ナ姿ヲ見テ非常ニ喜ビ『皆サンニ嫌ワレ ナイ様ニ』」と注意して帰宅する様子(事例11)など、比較的細かく観察しており、記述されていた。③に関しては、主に3例 に記述されている。前述の事例5は、「突然看護室の窓を開てお前のような女房を持っている事は考えて見たが因果だから殺 してやると言ひ出して・・・洋杖を振上げたり」というように認知症の症状が悪化し、精神科病院に転院している。当時は認 知症に対して老年性精神病、老耄性痴呆の病名が見られた。④に関しては5例に記述されている。「養女が○○でカフェーつ とめをしていたが行方不明になったから」(事例8)探してほしいと願い出たり、妻と一緒に入所し、その後、妻は園で病死 し、二男に引き取られるまでの様子が詳細に記述されている例(事例12)などがみられた。これらの個別記録において、利用 者の観察に基づくアセスメント、それに対する処遇方針といった個別支援を行っていた様子が分析でき、今日のケース記録の 原型的な要素をみることが出来た。また、当時の浴風園保護課長小澤一の論じた「記録の重要性」との関連なども示唆された 。入所の背景や入所後の生活記録を分析することで、昭和初期の要救護高齢者の生活実態とともに養老院の役割や処遇のあり 方についての検討の糸口となった。   発表当日13事例全体について詳細に解説する予定である。

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