自由研究発表理論2  岡崎 幸友

対人支援関係における「私」の立ち位置
-「死刑囚」との距離から学ぶ-

吉備国際大学  岡崎 幸友 (会員番号3447)
キーワード: 《まなざし》 《価値観》 《私の世界》

1.研 究 目 的

「対人支援」は、支援を「する者」と「される者」という、立場の違いを根にした上下関係に陥りやすい構造をして いる。この関係は「主体-客体」問題から生じているのだから、「お互いのありようを認め合う思考様式」を確立する ことによって、乗り越えることができるのではないか。
  そこで「対人支援関係における対等化の枠組み」を念頭に置きつつ、絶対的に異なる立場に立つ「死刑囚」に焦点を 当て、相手を「わかる、理解する」ための立ち位置のあり方について明らかにするのが本発表の目的である。

2.研究の視点および方法

本研究は精神科医である筆者が、死刑囚「A」との往復書簡をまとめた「ある死刑囚との対話」(加賀乙彦著、弘文堂  1990年)を中心に、立場を越えた互いの交わりを追うことによって、「私の立ち位置」について考察するものである。
  本書に登場する死刑囚「A」は、収監当初は自己の罪を正当化しているが、キリスト教との出会いによって改心し、  「自己のありよう」を見つめるようになる。一方、拘置所の精神科医としていささかの興味を持って「A」の元を訪れた 筆者は、「死」を目の前にしてもなお、「人としての生き方」を模索する「A」の態度に感嘆している。
  奇妙な二人の関係ではあるが、社会的に恵まれている立場にある精神科医と、いつ命が終わるともわからない立場 にある死刑囚とでは、置かれている状況は決定的に異なっている。加えて筆者にとっての「死」はいずれ訪れる出来事 であるが、「A」にとっての「死」は、常に隣り合わせである。それにも関わらず、例えば筆者は「A」に対して、「死」 や「存在」の意味を問い、「A」は自分の状況を理解しながら、それに答えている。
  一見、「死」を目前にした者に対しては残酷に見える行為だが、互いの立場を真剣に見つめ、さらに人間の存在様式 のとらえ方が通底しているからこそ、「生きた言葉」を交わすことが出来るのであろう。つまり二人の関係は、「精神科 医」の世界を構成している「死刑囚」に対する憐れみの関係ではなく、「同じ世界に存在している」人間同士の交わりと いえよう。
    立場の違いを超えてなお、同じ人間存在として対等であり続ける二人の関係のありかたは、対人支援関係の対等化を 構築する上での思考様式について、大いに示唆をあたえてくれている。

3.倫理的配慮

 本研究で考察した「死刑囚」の実名については、刑の執行により罪を償っているため記載しない。また対象となった 事案は公表されてはいるものの、その詳細については人道的な配慮から、理解を助けるために必要な情報のみを取り扱う。 その他は日本社会福祉学会倫理綱領に基づいた。

4.研 究 結 果

 本来、人間各々が「主体」なのだから、「A」と「B」が対峙していているとき、双方がその関係における「主体」 であるといえる。ただし「A」、「B」というのは抽象的な記述であり、具体的には「私」と「私」の関係となる。だが 「私」の前に居る「私」は「私」ではなく、普通は「相手」と表現する。この関係において「私」から見た「相手」は、 「私」の世界を構成している一部分なのだから「客体」である。
  このことが意味しているのは、抽象的な記号や、観念的に「主体」について考えることと、実社会で具体的に「主体」 を考えることとの間には大きな開きがある、ということである。つまり人間関係では、それぞれの「私」がそれぞれの 立ち位置で「主体」でありつつ、一方で「私」以外の「私」を客体化しあっている関係にある、といえよう。あるいは、 ある出来事で「私」が意識されると、「私」がその出来事の「主体」となり、その関係における他の「私」は、「主体」 である「私」によって客体化される、と言い換えても良い。
  「対人支援」は、観念的には「私」と「私」という「主体同士」の関係の上に成り立っている。しかし実社会では 「私」は対になる「私」を客体化しているため、上下関係が生じている。このことを乗り越えるために、例えば直接支援 においては「利用者主体」が重んじられている。しかし相手が客体であり続ける以上、「利用者主体」とは、私の内に 広がる「相手も主体である」という私の考えでしかなく、「相手も主体である」というのは、私の世界の一部でしかない。 ここに主客関係の本質的問題がある。
  この問題の原因は、主体である「私」に「相手」という分別が生じるところにある。そこで「『相手』にとっての 『私の世界観』」を「私の世界」として感じ取ることによって、分別を越えることが出来るのではないだろうか。この ときの私の立ち位置は、相手の立ち位置でもある。例えば目の前に誰かが居たとして、その人の心を「わかりたい」と 思う。それは相手が考えていることを「知りたい」ではなく、「こう考えているのだろうな」という私の中に生じる私 の理解を深めるのとも違う。端的に表現するなら「相手になる」ということである。これは「痛みに悩む相手の痛み」 を、「自分のなかで痛む痛み」としてわかるのではなく、「相手として痛む」ということである。
  このことを実現することは困難が伴うが、対人支援の「する」、「される」という上下関係を解消するには、乗り 越えなければならない。

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