ソーシャルワーク萌芽期における専門知と権力の系譜と特質
大阪府立大学大学院人間社会学研究科社会福祉学専攻 髙城 大 (会員番号5294)
キーワード: 《専門知》 《権力》 《近代》
ワーカーは医学モデルにみられるような近代科学に依拠した専門用語を用いて、臨床的事実を説明し、
クライエントの問題解決方法を提示してきた。こうした専門用語が正当化される背景には、「絶対的に揺るぎのない真理」
の存在が前提とされている。専門職はそのような真理に基づく「知」を一方的に独占し、クライエントを無知で援助を
必要とする者として規定した。このような科学に基づく専門知が、ソーシャルワークにおいて援助方法の唯一の正解である
と受け入れられ、「知」を有するワーカーは「権力」をもつに至った。しかし、そうした真理に基づくワーカーの「知」
は、人間に対して従属を強制する力(稲沢 2005:233)であり、その言葉に従うよう押しつける権力として、ハートマンは
「Words create worlds」を発表して言葉の持つ権力性への認識を促した(Hartman 1991:275-276)ように、社会構成主義
や物語モデルからも疑義が突きつけられている。それらの批判によれば、ソーシャルワークの専門知によって翻訳される
言葉は、権力が内在している(野口2002:139)というものであった。こうした「知‐権力」の結びつきはフーコー(Foucault,M)
を嚆矢として明らかにされてきた視点である。フーコーは従来の権力観を大きく転換させ、ポストモダンによる批判の
拠り所となっているが、権力は議論する文脈によって異なり、ソーシャルワーク言説において権力がどのように形成されて
きたのか、共通認識はなく手つかずのままで残っていると考えられる。そこで、ソーシャルワークの萌芽期に焦点を当て、
初期の言説でどのように権力が論じられてきたのか検討する。
本研究では、福祉国家から正当性を付与されたように、国家権力と社会制度に密接に関連しながら形成されてきた
イギリスにおけるソーシャルワーク言説を取り上げる。
研究方法としては、イギリスソーシャルワークの萌芽期について語られている言説を中心に権力論を整理分析していく。 ソーシャルワークの近代的起源は19世紀後半に設立されたCOSにおける実践の蓄積に求められるのが一般的である。 リンベリー(Lymbery 2001)は、ソーシャルワークを支える使命がみられた時期の一つに19世紀後期のソーシャルワーク 活動誕生の時期を挙げている。その当時のソーシャルワーク言説が何を真理に置いていたのか、またそれがどのような 形で権力として作用していたのかを研究の視点とする。
3.倫理的配慮本研究は文献研究によって行う。なお文献については本学会研究倫理指針に則り、その使用に関し、引用・参考等 を厳密化し、文献研究における倫理的配慮を行った。なお引用・参考文献は当日配布する資料に明記する。
4.研 究 結 果 イギリスでは、当時のソーシャルワーカーが都市部の労働階級の貧困者生活に関わっていたこととも関連するが、
ワークハウスでの厳しい処遇から慈善的援助へと変えていく欠くことのできない役割を担っていた(Harris 2008:664)。
その際、COSは「援助を受けるに値するクライエント(deserving poor)」「援助する価値のないクライエント
(undeserving poor)」といった区分でクライエントをカテゴリー化した。前者はCOSが援助し、後者は救貧法が対処する
ことになった。COSによる援助は、組織化されており、道徳的主義的判断をもっていた。そのため、ワーカーによる友愛
訪問や調査の主目的は、道徳的感化に主眼が置かれていた。すなわち貧困に陥ったのは個人の労働不足や怠惰によるもの
という功利主義と個人的貧困観に支配された人間観を持っていた。マルクス主義的視点と相まって、生産力や労働力と
いった就労支援を意図した自助努力による道徳的能力の改善を目指していたのである。こうした考えの背景にはソーシャル
ワークの担い手が、中産階級の白人の価値観に立脚していたことにあるものと思われる。その活動は、「勤勉」「節約」
「自助」といった自由主義イデオロギーを体現するもの(伊藤1996:40)であり、ヴィクトリア朝のイデオロギーをそのまま
引き継いだものであった。こうした貧困者層と中産階級層といった立場の違いは、すでに上下関係を孕んでおり、デカルト
のいう主客二元論があり、主体と客体という二項対立の関係が据えられていた。初期のソーシャルワークは道徳的感化と
いった非科学的な方法を重視していたが、言葉や文字といった「知」を保持するワーカーと、貧しい状態に陥り、脱却す
るための「知」を持たないクライエントという理性の差による関係性の違いを「真理」の根拠にしていた。イギリスでは
1930年代後半(Payne 1997:77-78)から精神力動的アプローチが注目を集めたとされるが、それまでにも近代西洋的な「知
」が暗黙の前提とされており、理性的人間をモデルに据え、クライエントを生活に対する計画性のない単なる無知な者で
あるという仮説をもとに道徳的説得を試みたのである(Jordan.B 1984→1992:47)
貧困者や労働者階級の人々とワーカーとの関係は相対化されており、クライエント認識やその援助観は非対称的な関係
として語られてきた。ソーシャルワーク萌芽期からその形成には特権的階級にある指導者が携わっており、その階級利益
を犠牲にして貧しい人を援助することがあたかも当然の役割であり、その活動に従事するワーカーは人格的にも政治的にも
完璧な者と置かれていたとされる。だからこそ、統制管理と抑圧の役目を果たす政治的な権力が付与され、社会秩序の維持
と社会不安の除去といった二重の機能を持ち、ジョーダンが指摘するように国家権力の一部に組み込まれていたのでは
なかろうか(Jordan .B1984→1992:27)
ソーシャルワークの専門知は、文化的、政治的、時代的特殊性に支持され社会的過程で構成されたものである(Payne
1997:13-15)。その時代に有力なイデオロギーに強い影響を受けた「真理」を専門知に結びつけ摂取してきた。ただ、一貫
して変わらなかったのは、ワーカーがクライエントを客体として観察対象に置いてきた権力的なふるまいであろう。
今後、時代区分を設定して、それぞれの政治的背景、史的変遷のなかで、ソーシャルワークがどのような使命を担い、
力を持っていたのか検討していかなければならないが、真理が単一のものとして、専門知に影響を及ぼしてきたこと、
そしてその妥当性によりいっそう注意を払いながら、吟味していかなければならないだろう。