自由研究発表理論・思想1  澤野 純一

孝橋正一の「仏教福祉」論再考
-その問題点と可能性について-

花園大学大学院  澤野 純一 (会員番号7647)
キーワード: 《孝橋正一》 《社会福祉》 《仏教》

1.研 究 目 的

西洋においては、社会福祉におけるキリスト教の影響は、暗黙の内に了解されていると考えられる。しかし、 その社会福祉の思想や方法論が日本へ入って来た段階で、その中に含まれていたはずの宗教の影響がすっぽりと抜け 落ちていた為、現在の日本の社会福祉には宗教色はほぼ皆無であると言えるだろう。現在、日本の社会福祉においては、 宗教の役割が無視されていると言ってよい。
  しかしながら、エーリッヒ・フロムも述べているように、本来、人間存在において宗教的な欲求というのは根源的 なものである(『精神分析と宗教』東京創元社)。やはり、社会福祉の領域においても、宗教の重要性を考察すること は重要である。
  さて、日本における宗教の役割を考える際、やはり、まず仏教に着目しなければならないだろう。何故ならば、 飛鳥時代の仏教伝来よりこのかた、日本の土壌にもたらした仏教の影響は計り知れないものがあるからである。加えて 筆者の問題意識から言えば、現在の社会福祉の分野においては、現在だからこその「生老病死」の問題が溢れているの であり、言い換えれば、釈迦の提起した問題が現代化した形でそのまま現われていると言うことが出来る。よって、 その様な現状の中で、仏教における「人間観」と「死生観」から社会福祉学、及び社会福祉活動を考察することは、 必要不可欠な要素ではないかと考える。
 このような状況の中で、大正デモクラシー以降、「仏教福祉学」という領域の研究が今日まで積み重ねられてきた。 しかし、その様々な試みの中には、決して無視することの出来ない、重要な示唆が含まれる論旨が数多くあるにも関 わらず、現在に至るまで「仏教福祉学」の学問としての成立は、未だなされていないのが現状である。
  ただ、そのような中においても、先達の研究を再検討することは、重要な作業であると考えられる。仏教福祉学 には、ひとつのエポックとして60年代後半から70年代にかけて登場した論者がおられる。例えば、守屋茂、森永松信、 孝橋正一などの名前が挙げられるが、中でも、孝橋正一の社会科学者としての知見と仏教に対する深い関心による その理論は、当時の時代背景からくる発想の古さを感じさせる部分があるとはいえ、極めてユニークかつ重要な示唆 が含まれている。氏の仏教福祉論の可能性と問題点を検討することによって、今後、「仏教」と「福祉」を考察して ゆく上でのひとつの礎としたい。

2.研究の視点および方法
  視点は、仏教学研究および仏教福祉学研究である。方法は、文献研究による。

3.倫理的配慮
 この研究発表に関しては、特に配慮の必要はないかと考えられる。

4.研 究 結 果
  孝橋は、まず「仏教社会事業は、社会事業の一部門として客観的条件と主体的契機との統一から成立している」 と述べる。そして、その客観的条件とは、「社会事業が形成され展開されるべき歴史社会的な諸条件」であり、 「それはまったく社会科学法則に規定されるものである」とする。一方、主体的契機とは、「社会事業にのぞむ 社会事業家の意識と姿勢・態度を意味し、それを自覚的にすぐれたものとして確立することに仏教が貢献するもの であることを意味する」とする。このように孝橋の理論は、「客観的条件としての社会事業」に「主体的契機として の仏教」が働きかけるという点に特色がある。加えて孝橋は、仏教原理というものは、「客観的条件としての社会事業 を規定すべき」ではなく、それを「歴史的・社会的存在としての社会事業を規定する上位概念ないし基底概念として 仏教を位置づけてはならない」と述べ、さらに両者の結合について、「社会事業の主体的契機がすぐれて仏教的であ ればあるほど、客観的条件としての社会事業のなかにそれが自己実現し、最善の場合には、仏教に関しては無言のまま 社会科学の理論と法則が指示する合理的指針にもとづいて、社会事業活動がその路線のうえを、理性的情熱的にすべり つづけるということになり、そこに仏教精神が新鮮に生かされてきていることを見出すであろう」としている。
  さて、孝橋の理論の問題点としては、この場合の対象世界である「社会科学の理論と法則」の絶対化に関しての 疑問が起きざるを得ない。マルクス主義経済学において全ての問題が集約可能であるかの如き、氏の「社会科学観」 については、現在においてはもはや批判されるべきものと考える。また、孝橋の理論によれば、仏教が関わるのは 社会福祉援助者の主体的契機のみであり、社会福祉対象者、及び、社会福祉のあり方そのものに対する問いかけに まで及んでいないこと、さらに「対象世界」を社会科学としての社会福祉に限定せず、「生活」の一領域としての 社会福祉活動にまで拡大して考える必要があるのではないか、という疑問も残る。
  しかしながら、氏の評価は、それだけで終わるものではない。氏の「仏教社会福祉学」理論において評価すべき ポイントは、まず、仏教というものが、一旦「人間個人」を経由した上で、社会科学としての社会福祉(氏の場合は 社会事業)に働きかけるということを明確にした点である。さらに、氏の、主体的契機としての仏教が、仏教に関 しては無言のまま無色透明なものとして対象世界に生かされるという発想は、極めてユニークかつ重要な観点である。 実際、仏教というものは、仏教自身にもとらわれないということを真骨頂としており、孝橋の視点は仏教のひとつの 要(かなめ)を突いているものと言えるだろう。ここが氏の「仏教社会福祉」論の最大の可能性なのであって、 この観点をさらに検討していくことは、今後の「仏教」と「福祉」の関係を考察していく上で必要不可欠な要素になる と考えられる。

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