大正デモクラシーにおける人格労働とその行方
-孫田秀春に焦点をあてて-
○ (株)日本福祉経営・群馬社会福祉大学大学院 院生 安中 啓子 (会員番号7572)
群馬社会福祉大学大学院 教授 西川 克己 (会員番号1802)
キーワード: 《人権擁護》 《生存権》 《労働の権利》
2008年年末の、「年越し派遣村」のテレビ放映は、豊かな日本の終焉への予感と現代における貧困の現実を
可視化させた。派遣切りにより、職を失うと同時に住まう所をなくす。悲劇はそれだけではない。医療、教育、
介護といった社会保障を受けられないと言う格差を生んでいる。つまり、現代に於ける社会福祉は労働問題の上に
立脚していると言えるのではないだろうか。
'90年代以降進んだ「米国発」の一連の規制緩和が、日本人の働き方を一変させた事に原因を見ることもできる。
しかし、そもそも日本における働き方とはどのような変遷をたどってきたのかと言った本質から考察することが
必要であると考えた。そこで、労働者の権利はどのように守られ、生存権はどのように考えられてきたのか。
米国の多大な影響を受ける以前、日本に労働法はどのように根付き、どのように育っていったのか。以上の2点
を明らかにすることを目的とする。
2.研究の視点および方法
労働法の歴史に於ける黎明期に深く関わった人物とその思想について、著書・文献・記録等にあたることで彫塑し、
その後の運命と現代への影響を考察する事とする。
具体的には、関係諸氏にヒアリングを行い、一橋大学、大原社会問題研究所等所蔵の孫田先生著書をはじめ、
記念誌・労働法機関誌・日本鉄鋼連盟労働法研究会等テキストに当たることとする。「経営と労働の法理―孫田秀春先生
米寿祝賀記念論集」1975年専修大学出版局と「労働法の開拓者たち」孫田秀春著1959年実業之日本社を参考とさせて頂いた。
一般に大正デモクラシーとは、大正時代に現れた政治・社会・文化における 民主主義的な運動を指すが、関東大震災により生活困窮者の増大とともに、労働者階級の政治的影響力が増し、 労働法の整備が急がれた時代である。この1920年代を中心に、労働法の確立に一生を捧げた一法律学者である 孫田秀春の軌跡を追うことで、労働法における黎明期の時代的・思想的背景を探る。
孫田秀春は末弘厳太郎と並ぶ我が国の労働法学の開祖と称され、一橋大学で教鞭ととっていた。大正期欧州に学び、 ワルター・カスケルやジンツハイマーの薫陶を受け、同大学で行われた日本初の「労働法学」の講義は満場の入りであった。 労働人格の完成を労働法の理想とする孫田の理論は「人格労働」と呼ばれている。一方、東京帝国大学の教授であり、 孫田の先輩であった末弘は、米国に学び「労働法制論」として孫田に先駆けて同大学で講義を行う。この二大巨頭の 視点の違いはどこにあったのか、孫田を中心に検討する。
② その後の運命について
戦争への突入に伴い、労働運動への弾圧が強化され二大教授の研究は苦難の道を歩む。しかし戦後、欧州で学んだ 孫田理論と、米国に学んだ末弘理論は運命を大きく分けることとなる。戦後行われた両教授による「労働法講座」を中心 に時代背景と思想を探る。
③ 現代への影響について仮説をたてる
1970年代後半の世界的経済停滞の中で、相対的に良好な経済パフォーマンスを示す日本経済が先進国から、見習うべき 対象として注目が寄せられるようになる。この現象は、他でもない孫田の「人格労働」が地下水脈として機能していたから ではなかいかと推論する。しかし現代の、労働を人格から切り離した「人間疎外」、或いは合理性を求める人的資源管理への 発展は、障害者・高齢者・女性などの社会的弱者を労働市場からこぼれ落すこととなっている。 生存権を軸に、大正期に おける孫田の労働法モデルから現代を俯瞰する。
本研究は、「日本社会福祉学会研究倫理指針」・第2・指針内容・A[引用]条項に基づいて行った。
特に専修大学出版局(1975)「経営と労働の法理―孫田秀春先生米寿祝賀記念論集」と孫田秀春(1959)「労働法の開拓者たち」 実業之日本社を参考とさせて頂いた。
4.研 究 結 果
第2次世界大戦後の労働法制整備はまさに改革と呼ぶものであり、戦前の学問的伝統から多くのものをくみ取っている。 しかし、急激な改革は、戦前からの学問的蓄積の合意を十分に得ているとはいえない。
孫田は、労働法の指導理念を「絶対的に労働および勤労人格そのものの本質の中」に求めるべきだとする。 (孫田1959:235)理論の核心は、「勤労人格の物性離脱、これが即ち労働法の理念であり、所有人格の物性離脱、これが 即ち財産法の理念であり、かくしてあらゆる人格の物性離脱、そして自由なる創造人格への究極の発展が、全法律学の 最高理念でなくてはなりません」ということである。(同:236)これは、経営者と労働者のあるべき姿を示すモデルに なりはすまいか。もう一点は評価という問題である。対人サービスに代表される現代の労働は、時間や数量で評価する には適さない。人の満足度が問題になるからである。つまり、労働を介して人格の交流が行われると解せる。労働法学 に人格という概念を取り入れた源流に孫田理論がある。本小研究が、ノーマライゼーションに基づき一人一人を尊重した、 価値ある経営と働き方を考察する上での、一道標となることを願う。