「持続可能な社会福祉の展望と課題」に寄せる
日本社会福祉学会会長 古川 孝順
2010年10月9日と10日の両日、日本社会福祉学会の第58回秋季大会がここ日本福祉大学の名古屋ならびに美浜の両キャンパスにおいて開催される運びとなりました。一般社団法人化にともない日本社会福祉学会は今年度から大会を2季に分け、それぞれ春と夏に開催することになりました。日本福祉大学における秋季大会はその第 1回目ということになります。日本福祉大学はこれまでもさまざまな学会を開催してこられました。もとより、今次大会の準備過程においても万全の体制を整えていただきました。それでも、会計処理を含め、初めての経験もおありになったのではないかと拝察致します。まず、何よりも日本福祉大学及びご関係の皆様に衷心より御礼を申しあげたいと思います。
さて、今期の秋季大会は「持続可能な社会福祉の展望と課題~経済・環境・福祉の視点から」を共通テーマとして開催されます。いま思い起こしますと、21世紀のゼロ年代は新自由主義の時代としてはじまりました。経済のグローバル化、規制緩和、競争による発展などをキーワードにする小泉政権が足掛け6年にわたって続き、その間日本の社会には大きな、地滑り的ともいえるような地殻の変動が起こりました。こんにちにおける、そして、これからの社会福祉のありようは、この未曾有の地殻変動との関係を抜きにして語ることはできません。私たちは、まずそのことを確認しておく必要があります。
私事になって恐縮ですが、私が鉄道弘済会の求めに応じて『社会福祉研究』に「格差・不平等社会の社会福祉~多様な生活困難への対応~」を執筆したのは2006年のことでした。 5年前のことになります。丁度「格差と貧困の拡大」ということが声高に論じはじめられた時期のことでした。私は、この小論において、格差が階層と階層、都市と農村、中央と地方など多様な側面に広がっていることに言及し、最終的にはその影響は個々人の生活のなかに重畳して現象することになる、という趣旨の議論を試みました。そして、その例示として、ニート、ワーキングプア、ネットカフェ難民、ホームレス状態、虐待、家庭内暴力、心のやまいなどをあげるとともに、それらの諸問題を解明するには従来の生活問題論では不十分であるとし、社会的バルネラビリティという概念を提起しました。
しかしながら、格差と貧困に関わる諸問題のその後の展開に則していえば、この伝統的な生活問題論の枠組みでは不十分ではないか、という私の指摘は表層にとどまるものでした。私の論旨は、賃金稼得者を中心に、妻、子ども、高齢者、障害者などの非就業者を含む勤労者家族の生活の維持と再生産を機軸とする生活問題論の枠組みによって、新たに出現している諸問題を十分に解明し、理解することは困難ではないか。より一般的に「社会的バルネラビリティ」というレベルに割り戻し、個々の問題の形成過程やそれへの対応については個別に論じる必要があるのではないか、というものでした。ただ、結果として、この指摘は適切なものではありませんでした。1990年代の後半以降、日本社会の根底において着々と進行しつつあった地殻変動のことに思い至っていなかったからです。
こんにちの時点において考えてみますと、私は、1960年代の高度経済成長期に形成された伝統的な生活問題論のもつ難点を、企業や公務による終身雇用と年功序列型の賃金体系を特徴とする正規雇用、そしてそれを前提とする賃金稼得者による妻、子ども、高齢者、障害者等の非就業者の扶養というメカニズムを機軸に基本的な枠組みが構成されていること、そのことに求める必要があったと思います。伝統的な生活問題論の下敷にある生活構造モデルは①終身型正規雇用、②年功序列型賃金、③賃金稼得による家計維持、④賃金稼得者による非就業者(妻、子ども、高齢者、障害者等)の扶養、⑤持家を中心とする住居保有、⑥親族・地域社会による相互扶助、という要素から構成されていました。それが90年代後半以降すっかり様変わりしています。つまり、いまでは①正規雇用と非正規雇用の混在、②職種対応型の賃金体系、③家族扶養の縮小、④単身生活者の増加、⑤雇用と住居の同時喪失、⑥親族・地域社会つながりの希薄化、が顕著にみられ、それが多様な生活困難の前提あるいは背景要因になっています。こうした変化の中心にある終身雇用や年功序列型賃金体系の崩壊、非正規雇用の増加という変化は、まさにゼロ年代初頭以来の、グローバリゼーションの促進、脱規制化、自己責任の追求という、総じていえば新自由主義的な政策動向を濃密に反映しています。また、同様に、家族扶養の縮小、単身生活の増加、雇用と住居の同時喪失、親族や地域社会における人と人とのきずな、つながりの希薄化、断絶という変化にも、新自由主義政策の色濃い影響をみてとることが可能です。
こんにち、社会福祉のこれからのありようが問われるのは、このような90年代後半以降に目立ちはじめた生活基盤の地殻変動的な変化に起因する多様かつ複雑で高度な生活問題にたいして、戦後福祉改革の時期から1960年代の高度経済成長の時期にかけて形成されてきた日本の社会福祉、さらにいえば社会保障その他の社会サービスを含めた生活支援施策が適切に対応しえていない、そういう危機的な状態に陥っているからです。既成の生活支援施策の枠組みを前提に、ただ支援や援助の量を増やす、質を改善するという弥縫的な対応策をもってしては最早や十分な効果は期待しえない、という状況にあります。
たしかに、90年代の後半以降、生活支援施策をめぐって改革が進められてきました。社会福祉の領域でいえば基礎構造改革です。基礎構造改革のねらいは、戦後改革以来の伝統的な社会福祉の骨格を、高度成長期以後における社会経済の変動、そしてそれにともなう生活問題の変容に適合するように改革する、ということにありました。この改革は、社会福祉政策を普遍化し、従来の措置方式を契約方式に改め、社会福祉における利用者民主主義を実現するという理念のもとに推進されました。基礎構造改革は利用者や関係者にとって大変魅力的な改革として出発しました。しかし、それも、最初は介護サービスに、後には障害者自立支援サービスに、一律に1割の自己負担が求められる、あるいは母子福祉に就労支援に傾斜したプログラムが導入されるという状況がうまれるなかで、新自由主義的な性格が前面に押しだされるというかたちに転落してしまったように思われます。
これからの社会福祉は、このような20世紀の最後の10年から21世紀のゼロ年代にかけて日本の社会を揺るがしてきたドラスティックな社会的、経済的、政治的、文化的な諸条件の変容に対応することが求められています。しかも、その対応は社会福祉の伝統的な枠組みをもってしては不十分です。新たな枠組みが必要とされています。
そのような判断に直接的に関わることですが、今次大会の共通テーマに含まれる「持続可能な社会福祉」という語句にはどこか消極的な雰囲気を読み取る向きがあるかもしれません。「持続可能」という表現は「持続可能社会(サステイナブルソサエティ)」という語句を連想させます。持続可能社会という概念は、化石燃料その他の自然資源の有限性が明らかになるなかでいかにすれば人間社会を維持し、存続させることができるかという発想に由来しています。この経緯をそのまま「持続可能な社会福祉」の解釈に適用しますと、いまの社会福祉を維持するにはどこかで無駄や無理を除かなければならない、我慢しなければならない、そうしなければ社会福祉はいずれ駄目になる、そういうインプリケーションをもつことになりかねません。もとより、「持続可能な社会福祉」を掲げる今次大会の共通テーマのねらいはそこにあるわけではありません。むしろ、こんにちの新しい状況のなかで、これまでの蓄積、成果を損なわず、しかも新しい課題状況に適切に対処することができるように、社会福祉をはじめとする生活支援施策の枠組みをいかに再構築し、維持発展させ、持続可能ものにすることができるか、そのことについて考察し、新しいありようを模索し、提起すること、共通テーマのねらいは実にそこにおかれています。
この困難な課題に対応するには幾つかの切り口が必要となります。第一には、社会福祉を広く社会政策を構成する施策の一つとして位置づけるという切り口です。人びとの社会生活を支援することを目的に展開される公共政策を社会政策(ソーシャルポリシー)として捉えれば、そこには雇用政策をはじめとして、所得保障、健康、保健、医療、教育、更生保護などの諸施策(社会サービス)が含まれることになります。人権擁護、まちづくり、さらには消費者保護施策などもそこに含めることができるように思います。近年における多様かつ複雑で高度な生活問題に対処するためには、これらの社会政策を構成する施策のうちどれか一つの施策に頼るということでは十分な成果を期待することができません。
社会福祉を含めて、個別施策の内容を生活問題の近年の変化に対処しうるように再構築するとともに、多様な施策間のコラボレーション(協働)が不可欠となります。このような施策の再構築とコラボレーションが要請されるという状況のなかで、社会福祉は自己をどのようなものとして位置づけ、再構築するのか。私は、そのことを意識して「社会福祉のL字型構造」という概念図を提起してきました。社会福祉を社会政策の一つとして位置づけつつ、他の個別施策との位置関係を明らかにすることをねらいにしました。しかし、そこには社会福祉の特性をフラットに示すレベルにとどまっているきらいがあります。
ここで近年生活支援施策の再構築を論じる過程において提起されてきたセーフティネット論を援用することにしたいと思います。私は、生活支援施策の全体を、第1次セーフティネット、第2次セーフティネット、第3次セーフティネット(トランポリンシステム)、第4次セーフティネット(最低生活保障システム)という4つのレベルに区分して論じることにしています。第1次セーフティネットの中心は雇用政策です。福祉サービスの一部(保育サービス)もここに位置づけることができるでしょう。第2次セーフティネットを構成するのは各種の社会保険、社会手当、そして福祉サービスです。第3次セーフティネット(トランポリンシステム)は近年特に注目されている新しいカテゴリーです。就労支援、社会手当、住宅支援、福祉サービスをここに位置づけます。第4次セーフティネット(最低生活保障システム)を構成するのは公的扶助、福祉サービスです。それに住宅扶助を再編拡充した住宅保障をここに含めることにします。このようにセーフティネットの階層を設定し、それぞれのレベルにおける社会福祉の役割や機能を検討することは、社会福祉の自己概念やアイデンティティを再確認する大きな手がかりになると思います。
他方、多様な個別施策とのコラボレーションという視点からみると、そこにおける社会福祉の立ち位置はどのようなものになるでしょうか。私は、そのことについては、施策コラボレーションを社会福祉を機軸とするものとして構想しています。私の「福祉政策のブロッコリー型構造」といういま一つの概念図は、そのような視点を提起したものです。ここでいう福祉政策は、社会福祉を機軸に展開される施策コラボレーションのありようを動態的、機能論的に捉える概念として位置づけています。
それでは、なぜ社会福祉を機軸とするのか。そのことを明確にする作業は、題状況を分析する第二の切り口に関わっています。社会福祉は、社会政策としての側面とともに、多様な生活の困難をもつ個人、家族、地域社会に個別的に応答し、その解決、軽減、緩和にあたる社会的援助の方法(知識と技術)、すなわちソーシャルワークという側面を含んでいます。社会福祉は一定の利用者集団を対象とする社会政策としての側面をもちますが、しかしそのねらいは最終的にはソーシャルワークが重要な役割をもつ援助の提供という具体的、実践的な援助のレベルにおいて実現されることになります。このレベルにおいては、社会福祉は、地域社会における、地域社会による援助の提供、総じていいますと社会福祉の地域福祉としての展開が求められることになります。ただ、周知のように、一方において、その基盤となるべき地域社会のきずなやつながり、互助性や協同性は急速に希薄化する状況にあります。そこをどのように乗り越え、地域住民の求める援助をいかに提供するのか、基礎自治体と地域社会のガバナンスが問われることになります。
ここで第三の切り口です。ここでのキーワードの一つは「新しい公共」です。いま一つのキーワードは「新しい社会福祉を支える財政」です。これら2つの課題にどう切り結ぶかです。社会福祉は社会総体のなかで捉えれば多数にあるサブシステムの一つです。持続可能な社会という視点から社会福祉を把握し、考察するという切り口が必要不可欠です。
「新しい公共」、これは昨年の法政大会の共通テーマでした。かつて公共といえば官や行政のことでした。公共をそのような軛から解放し、民間の機関や団体、さらには企業なども含め地域社会、さらには社会全体にかかわる諸問題について、多様な主体がともに議論し、方針を決定する、そのための空間あるいは領野、またそこにおける活動のこととして理解しておきたいと思います。社会福祉の援助提供セクター論はそのような新しい公共の議論と重なりあっています。援助提供セクターの多元化、民間化や民営化の促進ということが基礎構造改革以来大きな課題になってきました。しかし、社会福祉を公設公営の制約から解放し、民間化、民営化を促進すれば自動的に最適状態がうみだされるというわけではありません。競争原理導入の結果はいいことばかりではありませんでした。新しい公共を求めつつも、私たちは、最終的には政治的共同体としての意志を付託する政府や行政に期待しないわけにはいきません。それを機軸にしたシステムの再構築が不可欠です。
最後に、事柄は、社会福祉を支える財政の問題に行き着きます。新しい社会福祉の財源をどのように確保するのか。もとより、民間や民営のセクターに多くを期待することはできません。その文脈でいえば、消費税の引き上げと目的税化も一つの選択肢になりうるでしょう。しかし、資源再分配の方法は多面的、多角的に検討する必要があります。他方では経済の活性化も不可欠です。社会福祉をサービス産業の一部門として捉え、その発展をはかるという視点もありえます。しかし、それは社会福祉を市場原理に丸投げするということではありません。政府や行政が最終的には責任を負うことを前提とする新しい公共のシステムを築き、発展させるなかで、援助提供セクターの多元化、活性化を促進する必要があります。そのときには、社会的企業も重要な選択肢になりうるように思います。
新しい社会福祉のありようを求めようとすれば、検討すべき課題は多様であり、かつ重いといわなければなりません。会員諸氏による活発な議論の展開を念願してやみません。