自由研究発表思想  李 善惠

賀川豊彦の社会福祉思想形成に関する一考察
 -出生(1888年)からアメリカでの留学生活(1917年)まで-

○ 同志社大学大学院  李 善惠 (会員番号7652)
キーワード: 《賀川豊彦》 《キリスト教》 《社社会福祉思想》

1.研 究 目 的

 去る2009年には賀川豊彦献身100周年記念講演会が各地で行われた。これは1909年12月24日、賀川豊彦(以下、賀川)が日本最大のスラム街の一つである神戸葺合新川に住み込んだ日から100年を迎える日である。そして、韓国でも「社会宣教献身100周年記念」と題として賀川豊彦に関するシンポジウムが宗教改革主日を迎えた2009年10月27日にソウルで行われた。
 明治期から昭和期まで日本社会に関わった賀川の活動は、当時だけではなく今日までも大きい影響を及ぼしていると言っても過言ではない。例えば、スラム街に入って生活困窮者とともに生活してからセツルメント運動へ、そしてアメリカから帰ってから貧民救済事業より防貧対策事業へ、また消費者と農民のための協同組合運動などが取り上げられる。牧師でありながら、社会運動の先導者として活動した賀川は、日本では社会運動に対して「赤だ、危険人物だ」という非難の声を浴びていたが、外国ではノーベル賞にノミネートされるほどの高い評価をされた人物であった。賀川は、近代日本の社会運動の中心人物であったにもかかわらず、戦後社会においてあまりにも評価されていないのが現実である。
 最近、「賀川豊彦、その現代的可能性を求めて」(2009、季刊『at』15号)というタイトルで特集に扱われ、賀川に対する再評価がされている。つまり、時代の背景に基づいた賀川の生涯を通して社会福祉思想がどう形成されていたのか、またこれが当時の社会にどう影響を与えて今日まで継承されているのか、そして今後はどう続けられるべきなのかについて研究することは意義があると考えられる。そこで、今回の研究目的は、賀川の出生からアメリカの留学生活を通して、社会福祉実践思想における初期の形成過程を探索することとした。  

2.研究の視点および方法

 斎藤(1983:1)は、賀川を山室軍平と比べ、労働者を社会福祉の対象者として救済すべきものとして捉え、社会の不平等や不公正の結果として社会福祉を労働運動や社会主義へと方向づけたと述べている。吉田(1984:13)は、大正期に独占資本期の生活不安を背景にした貧困調査を始めた際、賀川の『貧民心理の研究』が注目され、社会事業家による実践記録となったと言っている。このように賀川に関する先行研究は、賀川のことを社会事業、農民運動、労働運動、協同組合運動など、幅広い分野で活躍した人物としてまとめている。しかし、賀川の社会福祉実践思想の形成に関する先行研究はあまり見当たらない。したがって、研究視点としては、キリスト者であった彼が、なぜ社会福祉と関わっていくことになったのか、そしてその実践思想がどのように形成されていくのかに焦点をあてる。本報告は、1888年から1917年までの賀川の略歴に基づいて、①少年期における賀川(1888年~1904年)、②キリスト者としての賀川(1904年~1914年)、③アメリカでの留学生活における賀川(1914年~1917年)の3つに分けて考える。妾の息子で生まれ、親の死別や義母の差別という経験の中で、孤独と戦った賀川がキリスト教に出会ってから、どのように彼の人生が変わっていくのかについて考えたい。研究の方法は、文献研究である。特に賀川の生涯について、人物伝を中心にしてまとめる。社会福祉思想については、1917年までの賀川の著書を中心にして検討していく。 

3.倫理的配慮

 本研究は、文献研究を中心とした研究である。特に歴史的な背景に基づいた研究であるため、差別用語が登場しても原文のままで使用する。引用する際には、日本社会福祉学会の研究理論指針(2004年10月10日)を遵守する。 

4.研 究 結 果

 賀川は、『社会事業研究』第16巻で、生命の本質と生命の表現というキリスト教の両側面を説明しながら、生命の表現を考える人は、愛の行動によって生命の本質を得ることを学ぶと述べている。特に彼は、ヨハネの手紙一、4章8節の「愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」という言葉を引用しながら、愛の行動を知らない人は神が本質的に愛であることを知るわけがないと記している。これは、神との交わりの中で、生命の本質を悟っていくように、人間との交わりの中で、生命の表現、つまり社会福祉の実践が表されていくものといえる。
 本報告において、なぜ彼の中で、このような思想が生まれてきたのかについて考えてみると、まず、孤独感と寂寞感と戦った賀川にとってキリスト教との出会いは社会と関わっていく糸口となる。これが、後に贖罪愛と人格という賀川にとってなくてはならない信仰思想となる。そして、病気で死刑宣告まで受けた賀川は、むしろそれをセツルメント運動に参加するきっかけとしたものと考えられる。しかし、スラム街の生活は、彼にとって生活困窮者に対する救済事業を直接的に実践する場となった反面、1915年に出版された『貧民心理の研究』により、差別用語および部落問題で批判されることにもなった。それにもかかわらず、吉田(1988:15)は、賀川の社会福祉の原点を1915年に出版された『貧民心理の研究』に置いている。この部分は、当時の時代的な背景を理解する必要があると考える。最後に、アメリカでの経験は、社会福祉に対する考えを変化させる契機となる。例えば、救済事業ではなく防貧事業および労働者を社会福祉の対象として組合運動を広げていく、ということである。したがって、出生(1888年)からアメリカでの留学生活(1917年)までの賀川の生涯は、社会福祉思想形成において重要な根拠となると考えられる。  

5.文 献

斎藤 宏(1983)「賀川精神を継承するもの」『賀川豊彦研究』第2号、財団法人本所賀川記念館、1.
吉田久一(1984)『日本貧困史』川島書店.
吉田久一(1988)「日本社会事業思想の成立と限界(1916~1932)」『賀川豊彦学会論叢』第3号、2~45.  

↑ このページのトップへ

トップページへ戻る

お問い合わせ先

第58回秋季大会事務局(日本福祉大学)
〒470-3295 愛知県知多郡美浜町奥田
日本福祉大学 美浜キャンパス

受付窓口

〒170-0004
東京都豊島区北大塚 3-21-10 アーバン大塚3階

株式会社ガリレオ 学会業務情報化センター内
日本社会福祉学会 第58回秋季大会 係

Fax:03-5907-6364
E-mail: taikai.jsssw@ml.gakkai.ne.jp