大会企画シンポジウムシンポジスト 須田 木綿子

対抗的公共圏と高齢者をめぐる福祉的課題

須田 木綿子(東洋大学)

 

1.はじめに
 ハーバーマスによると、我々の住む現代社会は「システム」と「生活世界」から構成され(図参照)、「生活世界」はさらに「私的領域」と「公共領域」に分かれる。「システム」世界は資本主義経済システムと官僚的国家行政システムより成り、「生活世界」における「私的領域」は家族や隣人から成り立ち、「公共領域」は私人と公民から成り立つ。とはいえ、これらの概念は必ずしも領域を基礎とするものではなく、行為の合理性の違いにもとづくとされる。
 フレイザーは、ハーバーマスの公共性概念がブルジョア層の男性による自由主義的な公共圏のみを想定していると指摘し、非自由主義的で非ブルジョア的な多様な公共圏を「対抗的公共圏」と概念化した。フレイザーによれば、「対抗的公共圏」とは、「撤退と再編成の空間」であると同時に、「扇動的活動」のための基地としての要素を持つという(北郷,2006)。
 今回のシンポジウムで筆者に与えられた課題は、この「対抗的公共圏」をキーワードとしつつ、日米比較の視点から、高齢者をめぐる福祉的課題を論ずることである。これにおそらく、「非営利組織」がもうひとつのキーワードとして期待されているのだろうと想定する。以上をふまえ、高齢者を支援することを目的に活動する日米の非営利組織の現状と課題について検討したい。

<図 現代社会の基本構図>

 2.対抗的公共圏と高齢者をめぐる福祉的課題:米国の場合
 米国の非営利組織として論じられるのは501(c)(3)という税制コードを持つ団体で、ここに含まれるのは、我が国でいうところの宗教法人、学校法人、社会福祉法人、医療法人、財団法人、社団法人、NPO法人である。この中でも、高齢者の保健・福祉課題に対応するのは、医療法人や社会福祉法人、そしてNPO法人に相当するような501(c)(3)組織である。
 501(c)(3)組織の活動は大きくアドボカシーとサービス供給活動に分けられる。高齢者領域の501(c)(3)組織によるアドボカシーとしてよく知られているのは全米退職者協会(AARP)とグレイ・パンサーであり、いずれも高齢者の権利の維持・向上のために必要な法律や制度の整備において、大きな影響力を発揮してきた。しかし、このようなアドボカシー活動に参加するためには、相互理解を促すためのコミュニケーション能力や会合場所に出かけるための交通費や被服費、そして最近ではネット上で情報交換をするためにパソコンを購入できるだけの資金力やパソコン技能が求められる。要するに、ここでの活動の中核を担うのは知的・経済的資源を有する中・上流の市民であり、低所得などの社会的に不利な条件をもつ高齢者は、これら自助を前提とする助け合いのネットワークに参加する術もない(須田,2000)。
 サービス供給においても、購買力のあるサービス利用者、すなわち中・上流の市民が中心的存在であることは変わらない(須田,2004)。日本の介護保険制度のような包括的サービス供給システムが存在しない中で、必要なサービスは個別契約に基づいて民間組織から購入する方法が中心であり、この領域の商業化の進行は著しい。営利と非営利の501(c)(3)組織が入り乱れて富裕なサービス利用者を奪いあい、料金徴収の方法や宣伝戦略等においても営利―非営利の差異は見えにくい。このような市場でのサービスを購入することもできない低所得層に対しては、貧困対策の一貫として公的資金を用いての支援が提供される。実際のサービスは民間組織が委託や助成を受けて提供するが、しかし公的資金は活動継続に必要な最低限の経費を賄うにも十分ではなく、かつ、貧困層が居住する地域は犯罪等の危険も深刻である。支援を提供する組織の職員の待遇も劣悪を極め、営利組織のみでなく非営利の501(c)(3)組織もこの領域からは撤退傾向が続いている。
 このように、米国の課題の中心はまさに、「市民的(ブルジョワ的)公共圏」と「対抗的公共圏」の関係性にある。米国のアドボカシーおよびサービス供給活動は、経済「システム」の論理に貫かれた「市民的(ブルジョワ的)公共圏」を中心に展開され、低所得層への支援は行政「システム」の合理性に基づいて提供されている。そして低所得層の利害を体現する「対抗的公共圏」形成に活躍が期待される501(c)(3)組織もまた、低所得者支援には消極的であるという構図が浮かび上がる。

3.対抗的公共圏と高齢者をめぐる福祉的課題:日本の場合
「日本型市民社会」は、町内会等の豊富なソーシャルキャピタルを有しつつも欧米的なアドボカシー活動の見当たらない社会と総括される(Galaskewicz, 2007; Pekkanen, 2006)。高齢者関連の領域も例外ではなく、高齢者自身による活発なアドボカシー活動を展開する組織は単発的には存在するかもしれないが、その活動規模や影響力は米国の501(c)(3)組織の比ではない。
 いっぽうサービスについての課題は、行政「システム」の合理性と公共領域の合理性の関係の中に見て取ることができる。日本では介護保険制度が導入され、ここに社会福祉法人をはじめとする既存の非営利組織とともにNPO法人も参加することになった。筆者らは、米国で観察されたような非営利組織の商業化が介護保険制度下でも観察されるのかどうかを検討するために東京都内で調査を行い、営利と非営利の差異は維持されているか、営利の事業者が非営利的な行動を取ることを確認した(Suda and Guo,2009)。いわば、経済「システム」の論理がコントロールされた状態と見なすことができ、その要因として、事業者の活動を様々に規制する介護保険制度の影響力の大きさがうかがわれた。また、介護保険制度導入以前から高齢者ケアに従事していた社会福祉専門職者が、「介護保険制度は社会福祉ではない」と評価していたことも注目される(須田,2004)。介護保険制度以前の措置制度では、高齢者ケアも官僚的行政機構の一部に組み込まれた社会福祉活動の一環として提供され、「システム」世界の行為の合理性に基づかざるを得ない側面もあったであろう。しかしそのようななかでも専門職者の間では、生活全体に目配りをした包括的視点や支えあう関係が強調され、いわば生活世界の相互的コミュニケーションの合理性をケアの場で実現する余地が残されていたように思われる。これに対して介護保険制度下では、サービスの受け手と送り手の関係が固定され、標準化されたサービスを規定にしたがって効率よく提供することが求められるようになった。対比のためにあえて大胆に整理するなら、行政「システム」領域の行為の合理性がケアの現場により直接的に持ち込まれる体制に変わったとも考えられよう。
 このようななかで、在日朝鮮人のコミュニティや山谷地域などには、介護保険サービスへのアクセスが困難な状態にある高齢者も存在するが、このような高齢者を支援する活動は、言語や生活習慣の違い等に配慮した介護保険サービスの提供を当面のゴールとして、ヘルパーの養成等を行っているものが多い。いわば、マイノリティとして「対抗的公共圏」を形成するのではなく、介護保険制度に統合されることを自ら志向しており、こうして「生活世界」が国家による「システム」領域の行為の合理性に包摂されつつある様は、もはや壮観ともいえる。

4.まとめ
 上記の検討を通じて浮かび上がる課題は下記の3点である。第一に、公共圏-対抗的公共圏をめぐる諸概念は米国にはあてはまりが良いのだが、行政「システム」の影響力が強い日本の現状を検討するには鋭さを欠くように思われる。アジア諸国は、国家権力に対峙するものとしての市民社会を構想したことはないという説もあり、さらには「ブルジョワ層」の存在を前提とすることが妥当であるのかどうかなど、欧米の文脈において蓄積された分析枠組をそのまま適用することの限界が示唆される。第二に、日本の介護保険制度には様々な問題が指摘されているとはいえ、米国に比較すればはるかに大多数の高齢者に良質のサービスを等しく提供することに成功している点は、評価すべきであろう。第三に、とはいえ、日本では対抗的公共圏構築にむけての強固な気運も見当たらないことには、懸念を覚えざるを得ない。これに関連して、非営利の501(c)(3)組織が対抗的公共圏から撤退しつつあるという米国の先行経験をいかに理解すべきであろうか。わが国の非営利組織は異なる行動原理に基づいて対抗的公共圏構築の道筋を開くのか、あるいは、既存の営利―非営利とは異なる新たな担い手を構想するのか? ここに高齢者ケア領域のみならず、広く日本の市民社会のありように直結する本質的な問いが内在するように思われる。

<引用・参考文献>
阿部潔(1998) 『公共圏とコミュニケーション:批判的研究の新たな地平』,ミネルヴァ書房./Galaskewicz, J.(2007) Reflections on civil society in Japan, 日本NPO学会ニューズレター,Vol.6, No.2./Habermas, J.(1973) Legitimation crisis. Beacon Press./北郷裕美(2006)「対抗的公共圏の再定義の試み:オルターナティブな公共空間に向けて」,国際広報メディアジャーナル,No.4,111-125./Pekkanen, R.(2006) Japan’s dual civil society: Members without advocates, Stanford University Press./須田木綿子(2004)「アメリカNPO制度の光と陰」、住居広士編「アメリカ社会保障制度の光と陰」、大学教育出版会。/須田木綿子、浅川典子(2004)「介護保険制度下における介護老人福祉施設の適応戦略とジレンマ:探索的研究」、社会福祉学,Vol.45, No.2./須田木綿子(2000)「コミュニティの形成と福祉サービス」、仲村優一・一番ヶ瀬康子編集代表「世界の社会福祉:カナダ・アメリカ編」、旬報社。/Suda, Y. and Guo, B. (2009) Blurring the boundaries between for-profit and nonprofit providers: Long-Term Care Insurance system in Japan. (Under review)


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