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第57回大会特別講演

『生活保障の再構築 ―排除しない社会へのビジョン―』

宮本 太郎 氏(北海道大学大学院法学研究科 教授)

経済危機とこれまでの日本型生活保障の機能不全があいまって、不安や貧困が広がっている。昨秋来、いわゆる新自由主義は、経済社会運営の教義として見る限り、その影響力を大きく減じた。にもかかわらず、制度と政策の刷新に向けた新しいビジョンは現れていない。
 日本の相対的貧困率は14・9%までに達したが、日本の相対的貧困世帯の4割は、世帯員のうち2人以上が就労している。フルタイムなみの労働時間働いている非正規労働者の51%が、家計の主な担い手であるにもかかわらず、その所得は絶対的にも低く、所得10階層のうちもっとも所得が少ない集団の年収は6000ドルと、OECD平均の7000ドルを下回る。他方で、正規労働者のなかでは、週60時間以上働く人々が、若年層のみならず、中高年層でも20%近くまで急増している。
 労働市場のインサイダーも、アウトサイダーも、ともに生き難いのに、この生き難さが社会を組み換えていくビジョンへ結びつかない。それどころか、インサイダーに対してはその雇用をめぐる「特権」を糾弾する声が向けられ、アウトサイダーに対しては「過大な保護」が問題とされて、生活保護の母子加算が引きはがされたりする。互いに「特権」や「保護」を引き下げあう、「引き下げデモクラシー」(丸山真男)が依然として横行しているのである。

なぜ硬直した事態が続くのか。ここでは、まず比較福祉国家論的な視点から、高度成長期以降の日本の生活保障の仕組みとその展開をふりかえる。
 福祉レジームと雇用レジームの組み合わせから成る福祉国家は、①福祉レジームついても雇用レジームについて支出が少なく市場原理が前面に出たアングロサクソン諸国(自由主義レジーム)、②福祉レジームについても雇用レジームについても支出が大きく、両者を組み合わせることで安心と活力を両立させてきた北欧諸国(社会民主主義レジーム)、③福祉レジームに対する支出は大きかったが、雇用レジームが弱く、失業や財政赤字が増大した大陸ヨーロッパ諸国(保守主義レジーム)、そして、④福祉レジームへの支出は少なかったが、雇用レジームが安定していた日本、という4つのパターンが区分できる。
 日本は、福祉レジームに大きな支出をしてこなかったが、雇用レジームにおける長期的雇用慣行と、公共事業など地方に仕事をつくりだす仕組みが男性稼ぎ主の雇用を実現し、その所得が家族構成員の生活を支えた。福祉レジームへの支出は、雇用と家族が生活保障の機能を弱める人生後半に関する支出(年金と遺族関連)に集中する傾向があり、現役世代への公的支援は弱かった。また、障害を有する、その他の理由で、このシステムの外部にあらざるを得ない人々には十分な保障が及ばない仕組みでもあった。その一方で日本は、こうした仕組みをとおして、小さな社会保障支出であったにもかかわらず社会を安定させ、格差を抑制してきた。
 この日本の福祉国家に何が起きているのか。日本は大きな雇用レジームで小さな福祉レジームを補ってきたが、この大きな雇用レジームの解体がすすんでいる。長期的雇用慣行について言えば、500人以上の民間企業の正規の男性従業員数は、1999年の806万人から2007年には693万人へと減少した。さらに顕著なのは公共事業の削減で、2001年の財投改革とも関連して政府固定資本形成の対GDP比は半減し、今やフランスを下回った。一般歳出上の公共事業関係予算(災害復旧費含む)は、1998年度の8兆9853億円から2007年度概算では6兆9473億円まで減少した。都道府県および市町村の普通建設事業費の落ち込みも顕著で、とくに単独事業費は、同じ期間に、17兆645億円から7兆6639億円へ、10兆円近い落ち込みを見せている
 「大きな雇用レジーム」が解体したにもかかわらず、人生後半にシフトしている福祉レジームは現役世代の経済的困難に対応できていない。福祉レジームが一貫して小さかったがゆえに、人々は社会保障の強化を一般的には求めながらも、この国の政治と行政が、負担に見合った社会保障を実現してくれるとはにわかには信じがたく、福祉レジームの拡大についての合意が形成されない。他方で、家族やコミュニティの揺らぎのなかで、ジェンダー平等や家族のあり方などに直接かかわる政治的イッシューが増大している。このような「ライフ・ポリティクス」は、人々の間での感情的な対立に発展しやすい。

日本型のレジームはどこに向かうべきか。雇用レジームを軸にした安心の確保というのは、それ自体は決して間違ってはいなかった。他方で、日本の雇用レジームは、民間企業や業界が男性稼ぎ主を囲い込むかたちをとり、閉鎖的な面が強く労働市場が硬直的で、女性の労働力の活用ができず、また公共事業に絡んでは様々な利権もつくりだされた。同時に、様々な理由で定型的ライフスタイルの外にある人々には、厳しいシステムでもあった。
 この点では、まず同じく雇用レジームで雇用を確保しつつも、これを福祉レジームと連携させた北欧型の経験を取り入れていくことが考えられる。職業訓練、生涯教育、保育サービスなどの現物給付を地方政府のイニシアティブで導入し、性別を問わずすべての人々の社会参加を支援していく、という方向である。
 ただしここで留意するべきは、北欧型のレジームもまた万全ではない、ということである。とくに積極的労働市場政策で、先端部門に労働力を移し続けるという方法は、先端部門がIT化で労働力を吸収しなくなっている現実を見ると、限界も見えている。したがって、これまでの公共事業や中小企業などへの保護・規制がつくりだしてきた制度疲労や高コスト体質を克服しつつ、維持補修型の公共事業への転換などで、地域の住宅政策や持続可能なまちづくりと連携させていくことが求められる。こうして人々の社会参加の可能性と、社会参加の場をともに確保できれば、生活保障を再構築し、排除しない社会をつくりだしていくことも可能になっていく。

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