精神障害者の社会復帰支援施策に関する検討
-日本とイギリスにおける施策の歴史的変遷と現在の取り組みを比較して-
○ 神戸大学大学院保健学研究科* 澤田 愛 (会員番号7645)
大友 優子 (会員番号5121)
キーワード: 《精神障害》 《社会復帰支援》 《イギリス》
わが国の精神保健サービスは、精神病院入院医療中心から地域ケア中心へと変化しようとしている。厚生労働省は2004年に
精神保健福祉の改革ビジョンとして、「入院医療中心から地域生活中心」へ転換する方針を示し、10年でいわゆる社会的入院者
である約7万2千人の精神障害者の退院を目指している。しかしながら実際は、精神障害を持つ人が地域で安心して社会生活を営
めるような施策は遅れており、いまだに入院中心の状況が続いている。さらに、近年深刻化する格差問題から起こる社会的排除
の問題が注目されており、精神障害者は特に社会的排除の対象となりやすく、今後の精神障害者の社会復帰に向けた施策作りが
急務とされている。
一方、イギリスでは精神障害者に対する施策がいち早く進められ、入院中心のケアからコミュニティケアへと移行してきた
。また、ブレア政権以降は社会的排除問題に国として積極的に取り組んでおり、今後の日本の精神保健施策を検討するにあたっ
て、イギリスの動向を知ることは必要であると考える。
そこで、本研究ではイギリスと日本の精神保健施策の歴史的変遷と現在の取り組みを明らかにし、日本の今後の精神障害者
の社会復帰支援施策の方向性を示唆することを目的とする。
精神保健施策・ソーシャルインクルージョンに関する学術論文や英政府の公開資料、精神保健施策に関する学術論文や日本 政府の公開資料に基づいて、日本とイギリスにおける、精神保健施策の歴史的変遷と現在の取り組みについて、精神障害者の社 会復帰支援という視点から文献検討を行う。
3.倫理的配慮資料・文献の引用にあたっては、研究倫理指針第2Aに則って行う。
4.研 究 結 果イギリスでは、1910年代頃から施設ではなく地域でケアしていこうとする運動が始まっていた。1930年には、精神障害者も
地域でケアを受けられるようになり、1960年には精神病床を削減する措置がとられた。1990年にはコミュニティケア法が成立
しさらに病床削減が進められたが、急性期患者の病床不足、退院後の居住施設不足によるホームレス化が問題となった。ブレ
ア政権以降は、貧困者や障害者などを地域社会の一員として包摂するという社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)によ
って、経済と福祉の両立を図ろうとしている。現在の精神保健分野の取り組みの一例としては、精神保健地域ケアの中核とな
るサービスである「地域精神保健チーム」による地域医療の提供、さらに急性期病院と在宅・施設との中間にあるサービスの
「切れ目」を埋める「中間ケア」サービスによって医療と社会ケア連携が進み、入院待機患者を減少させたほか、多くの成果
をあげている。
日本では、1987年から世界に遅ればせながら精神障害者の地域ケアを進め、2004年以降は社会的入院問題の解消に向けた
取り組みが始まっている。しかし、前期5年で長期入院や社会的入院に目立った変化はない。その要因としては、地域ケア体
制の施設・人材不足、当事者のニーズに合わない施策などが挙げられる。今後、精神障害者のニーズに合った社会復帰支援に
関する施策作りや、受け皿となる社会復帰関連施設の整備、地域住民の理解促進に向けた啓発活動が急務とされている。現在
の具体的取り組みとして、精神障害者の社会的入院の解消に向けて、唯一国庫事業化されている「退院促進支援事業」という
取り組みがある。数値的成果は低いものの、当事者の退院意欲の促進や、関係機関の連携の強化などさまざまな波及効果をあ
げていることが報告されている。
イギリスの精神保健施策の歴史から、イギリスは古くから脱施設化・コミュニティケアの概念が浸透しており、ソーシャ
ルインクルージョンの概念もふまえて取り組んでいることが明らかとなった。病床削減により居住施設不足などの問題があっ
たものの、現在は地域での医療体制を充実させ、医療と福祉を連携させることで、入院患者を減らし、サービスの切れ目のな
いコミュニティケアを実現させていることが分かった。日本では、精神障害者の地域ケアを進めているものの、地域ケア体
制の施設・人材不足、当事者のニーズに合わない施策などによってうまく機能していないことが明らかとなった。
これより、今後我が国が精神障害者の社会復帰支援施策を進めていくためには、精神障害者のニーズに合った施策の見直
しを行い、医療と福祉を連携させ、より充実した地域ケア体制を定着させていくことが重要である。それには、イギリスの
ソーシャルインクルージョンという概念を踏まえた施策作りや、成果をあげている「精神保健チーム」や「中間ケア」によ
る、サービスの切れ目のないコミュニティケアが参考となると考えられる。
また、現在わが国で取り組まれている「退院促進支援事業」は、精神障害者のニーズに合った柔軟な施策として、さら
に地域医療体制の基盤を作り上げるうえでも重要な効果をあげることが期待される。