有島武郎の相互扶助思想(第二報)
-農場共有解放・共生農団とアナーキズム-
北海道医療大学 志 水 幸 (会員番号1727)
キーワード: 《歴史》 《思想》 《相互扶助》 《アナーキズム》
賀川豊彦の『農村社会事業』(日本評論社,1933年.)は、「協同組合組織による農村運動のほか村を救ふべき道のない
ことを考へてゐる。この協同組合は押し広めて社会事業にも適用することが出来る。社会事業は、今や慈善事業の領域から
脱して、協同組合の基礎を持たなければならぬことになつてゐる。私はかうした立場を農村に応用して、絶大なる効果のあ
ることを見たものだから、その立場から新しき農村社会事業の行くべき道を書いた(序1‐2頁)」(傍点引用者)ものであ
る。
ここで言う、賀川が見たものとは何であったのだろうか。その一つが、有島武郎(1978〔明治11〕年‐1923〔大正12〕
年)の相互扶助思想にもとづく農場共有解放と、それに続く共生農団の展開である。
そこで、本研究では、社会事業概念胎動期における思想的潮流の一つの実践例として、有島武郎による農場解放と、解
放後の共生農団を支えた思想について検討する。
本研究は、文献研究的手法による歴史研究である。したがって、標記のテーマに係る基礎的文献や資料を用いて、1)
農場共有解放の原動力となった有島武郎の相互扶助思想の内実、2)解放後の共生農団の実態に迫りたい。
有島全集の決定版としては、筑摩書房が復刊した『有島武郎全集(全15巻・別巻1)』(初刊1979‐1988年.復刊完
結2002年.)がある。この全集には、文学作品群の他、自らの精神の遍歴を綴った観想録や手帳等の膨大な量の日記群や
書簡、さらには関連資料等が収録されている。また、有島の農場解放を主題とする研究書としては、高山亮二の労作(
『新訂 有島武郎研究‐農場解放の理想と現実』明治書院,1984年.および、『有島武郎の思想文学‐クロポトキンを中
心に』明治書院,1993年.)がある。
本研究では、上記の基礎的文献および関連文献の渉猟をとおして得られた知見を相互に関連づけることにより、有島
の相互扶助思想の今日的な意義について明らかにしたい。
本研究は、多数の一次史料等を収録した文献・資料にもとづく文献研究的手法による歴史研究である。したがって、 文献・資料等の引用にあたっては、日本社会福祉学会研究倫理指針を遵守するものである。
4.研 究 結 果[農場解放]1922〔大正12〕年7月18日の有島武郎による農場解放宣言は、134万坪(444ha)を超える有島農場
(北海道狩太の第一農場、第二農場:現・ニセコ町)の全地籍を、小作農全員に対し土地共有形式による無償解放を宣言
した。解放後の農場運営は、旧小作農を中心に組織された有限責任狩太共生農団信用利用組合(1924〔大正13〕年7月認可)
により、戦後の農地解放(1949〔昭和24〕年1月)まで継承された。
[有島武郎の農場共有解放思想]1)開放から解放へ:吉川銀之丞宛書簡(1922〔大正11〕年5月6日付)の要点‐①
個別譲渡(無償開放)→共有譲渡(共有解放)、②解放後の当面の責任者を吉川(有島農場現地管理人)に依頼、③組織、
制度、法律問題に対する協力者を北大の森本教授に依頼、④運営は、農民の自覚に基づく合議制とする。2)啓蒙主義:
「宣言一つ」(『改造(1922〔大正11〕年1月号)』所収)の要点‐①新たな運動の主体者としての第四階級(農民を含む
労働者)、②知識人による指導の排除、③有産階級(自身)は新たな運動に参加資格がない。3)相互扶助思想:クロポ
トキンとの出会い(1907〔明治40〕年2月3日…一部で17日説あり)‐有島全集(筑摩書房版)に登載されているクロポト
キンを主題とする論考は、「クロポトキン」(『新潮(大正5年7月号)』)および「クロポトキンの印象と彼の主義及び
思想に就いて」(『読売新聞(大正9年1月)』)のみである。会見は『相互扶助論』に関する質疑を中心に展開されたよ
うであるが、その核心については触れられていない。江頭太助(有島武郎研究会編「有島武郎のクロポトキン訪問の記」
『有島武郎研究叢書第5集 有島武郎と社会』右文書院,1995年.所収)によれば、1907年1月28日~2月20日までの間の読
書ノート(「Note in Library of British Museum」)の取り方が、「その話題がどのような内容のものであったかを間
接的に証明している」とされる。→該当箇所(2月19~20日)。①「法律と強権」1882年、および②「社会主義的進化に
おけるアナーキズムの地位」1887年=『相互扶助論』の礎石、③『近代科学とアナーキズム』1901年=クロポトキン思想
の集大成。
[共生農団のその後]小作農から組合員・組合役員へ(意識上の変化):有島の理想の継承の傍証として、「共生産業組合青年連盟規約(1937〔昭和12〕年5月1日)」では、「吾等ハ個人主義ヲ排除シ、相互扶助ヲ誓フ」と宣誓している。また、1940〔昭和15〕年1月30日の第16回総会における協議事項の中には、青年連盟より「有島殿解放ノ趣旨ヲ没却シ、又小作ヲ入レ搾取スルモノアルハ遺憾ニツキ、漸次其ノ跡ヲ絶ツ様努力スルコト、及斯ル人ヲ役員ニ推挙ノ如キハ不明モ甚ダシキ故一般人ノ反省ト、本人ノ遠慮ヲ乞フコト」との提案がなされている。
有島の農場共有解放・共生農団を支えた思想は、アナーキズムである。アナーキズムの行動原理である自律、相互扶助 、直接民主主義は、"新たな繋がり"を模索する身近な関係のネットワーク化を可能とするものである。このネットワークは、 国家を相対化すると同時に、福祉社会の新たな規範としての公共的相互性(public reciprocity)の淵源となる。