自由研究発表家族福祉1  佐々木 剛生

恤救規則・救護法下における「家族」扶養についての部分的考察
-恤救規則・救護法下の東京都市下層「家族」を例として-

東北福祉大学大学院  佐々木 剛生 (会員番号7307)
キーワード: 《恤救規則・救護法》 《「家族」構成》 《「家族」扶養》

1.研 究 目 的

私は次のように考えている。介護(扶養)される人、介護(扶養)する人が被っている不自由さや負担を出来るだけ減らせるように、社会福祉の負担における「家族によるもの」を減らし「社会が行うもの」を増やせればよいと1 。ところが自分の取り分が脅かされることを避けたい人たちは色々と理由をつけてこれに反対する。その反対の根拠として繰返し唱えられる言い分の1つが「昔の家族は大きくて、昔から家族は親と同居をし、子どもや老親を扶養してきた云々」という「家族」観である。これを「家族扶養郷愁論」と呼ぼう。
 一つに、ある行為を「昔から」行ってきたこと、あるいは「昔」行っていたことと、それをこれからも続けていくかどうかは全く別の話である。社会福祉において誰かが、どこまで、何を行ったらよいかを考えることと、それがこれまでどのように行われてきたかを確かめることは、論理的には別の事柄である。二つに、それでも「家族扶養郷愁論」者たちから、昔は我慢していたのに現在は我慢せず多く要求するのは贅沢であり、「家族によるもの」を減らそうというのは、不当な要求だなどと言われると、なんとなく反論しづらいかもしれない。既に確かめたように、このような主張に付き合う必要もないのだけれども、「家族扶養郷愁論」のような「家族」観がしばしば利用されて、かつ少なからぬ影響力を持っているとするのなら、その「家族」観を吟味する意味は十分にあると考える。

2.研究の視点および方法

戦前期日本が低福祉構造であったことは社会福祉学では周知であるかもしれない2。すなわち「社会が行うもの」が余りにも少なかったことは良く知られている。それでは同時代に生きていた人々の多くが「家族によるもの」さえ殆ど持たなかった人々ではなかっただろうかと、考えたことがあるだろうか。換言すれば、戦前期日本の低福祉構造は「家族」・親族・地域における大きな扶養力ゆえに存在しえたと思っていないだろうか。
 このような視点から、本稿では恤救規則・救護法下における東京の都市下層家族の在り様に焦点を当てた先行研究の成果を辿ることにより、「昔から家族は・・」どうであったのかについて、部分的ではあるが批判的考察を試みる。

3.倫理的配慮

参考・引用資料については、脚注に出典を明記することで研究倫理指針を遵守している。

4.研 究 結 果

「家族」規模についていえば、早くから戸田貞三氏が明らかにしてきたように、日本の「家族」構成において三世代世帯以上の大「家族」が支配的であったと考えることは誤りである3。同氏が大正9年の国勢調査の資料から明らかにした世帯規模毎の全世帯に占める割合は、全国平均では一世代世帯が2割弱、二世代世帯が5割5分弱、三世代世帯が2割5分強、四世代、5世代以上の世帯は合わせても3分に満たなかった。三世代世帯以上の世帯は3割未満なのであるから、明治近代以降から戦前にかけて大「家族」が数的に多数を占めていたとは、少なくとも全国平均ではいえない4
 「家族」扶養の期間についていえば、特に老親扶養期間は1920年当時に5年程度であったものが、平均寿命が延びたことによって、1980年では17.5年に、1997年には20.4年へと長期化し、実に4倍以上に長期化しているのである5。高齢化に伴って増えていく心身の不自由さを考えるならば、尚更、戦前期と現代を同列に論じる訳にはいかないだろう。
 「家族」扶養の水準についていえば、戦前期の東京都市下層「家族」に限っていうならば、中川清氏によれば、恤救規則・救護法下において「家族」を形成すること自体が困難であり、貧民窟に住み、子どもを非現住人口とし、世帯主以外の「家族」も含めた多就業によってかろうじてより長くきることが可能だった明治期を経て、少しずつ「家族」は(東京という)都市に留まることが可能であったのである。戦前期の東京における一割に相当する人にとって「家族」扶養とは、このような制約の中でかろうじて生活してきた歴史的事実そのものだったのではなかろうか。東京都市下層の平均世帯人員は3人から4人だったのであり、それ以上の「家族」員を抱えること自体が困難だったのである6
 最後に、恤救規則・救護法下の東京を例に取れば、救護法成立は「家族」扶養が脆くなったことへの対応であったと理解することは難しい。なぜなら東京都市下層「家族」の生活水準は、恤救規則から救護法成立までの間に徐々に上昇していったからである。東京に限っていえば、恤救規則という制度の存続を支えたものは、「家族」・親族・地域における大きな扶養力ではなくて、「家族」に強いられた過酷な忍耐ではなかったかと思えるのである。
 上記のいずれについても、より具体的な論証を行うために、さらなる検証が必要であることは明らかであり、今後の課題としたい。

1 「社会が行うもの」「家族によるもの」という語は、本セッションのコーディネーターである金子光一氏が趣旨説明において用いられたのをそのまま借用させていただいた。
2 例えば、杉山博昭「社会福祉の歴史的展開Ⅲ:日本」80-93頁、等。
3 戸田貞三 1982『叢書 名著の復興12 家族構成』新泉社 332頁
4 但し、戸田氏は6大都市(東京、神奈川、愛知、大阪、京都、兵庫)と東北地方郡部では、三世代以上の家族数が占める割合が異なることも指摘していた(戸田 1982:347頁)。
5 厚生白書 昭和59年度版、人口問題審議会意見書(昭和59年)等を参照した。
6 恤救規則・救護法下の東京都市下層「家族」生活の実態については、次の文献を参照させていただいた。中川清 1985『日本の都市下層』勁草書房。

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