強度の行動障害を持つ知的障害者家族に見る日常生活を維持する力
-聞き取り調査の修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチによる分析-
関西福祉科学大学 得津 愼子 (会員番号2035)
キーワード: 《強度の行動障害》 《知的障害者家族》 《修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ》
近年の社会福祉のキーワードは地域生活支援である。「『地域で暮らす』を当たり前に」というスローガンのもと、障害者本人が自らのストレングスをフルに発揮して、地域で自立生活を送ることが求められている。そこで家族は実際的には地域における重要な社会資源の一つであるが、家族は法的にも社会的にもその地位と責任の位置づけは余り明確ではない。近年漸く家族に対しての具体的な支援や実践が語られるようになってきたが、その多くは「本人主体」を支えるための家族支援であって、「家族主体」という視座は見えにくい。当事者を支える家族の日常には困難な体験も多く、当事者を支える家族への十分な理解と配慮が求められるところであるが、現在家族に求められている役割は過重にすぎてはいないだろうか?そこに筆者の問題意識がある。本調査の目的は、強度の行動障害を持つ知的障害者家族の厳しい現実生活において家族が家族であることを投げ出さずに、日常生活を共に生き抜いていくプロセスを明らかにすることである。
2.研究の視点および方法家族支援を積極的に30年以上行なってきているX福祉会において、重点的な家族支援を受けている強度の行動障害を呈した知的障害者の家族(親)8名の聞き取り調査の分析を行った。分析方法は修正版グランディッド・セオリー・アプローチ(以下M-GTA)(木下、1999など)によった。木下によれば、M-GTAに適する研究は、?ヒューマンサービス等実践的領域において、?社会的相互作用のレベルで、?その研究結果が実践的に活用されることが期待され、?研究対象がプロセス的特性を持っている場合であるとされている。筆者の理論的枠組みは、人間の行為は意味の社会的相互作用から導きだされるとするブルーマーのシンボリック相互作用論(1969)にあり、本調査は、知的障害者家族がその社会的相互作用においてどのようにその力を発揮するかの日常生活のプロセスを明らかにしようとするものであり、家族を支援する社会福祉実践現場に有用な理論生成を最終目的としており、上記の条件を満たしていると考えた。
3.倫理的配慮調査・分析の過程等全般にわたって、調査関係者などに細心の倫理的配慮を行った。
4.研 究 結 果分析の結果51の概念が抽出され、中心的概念(コアカテゴリー)は、<安心立命>に至るプロセスと、そのプロセスを支える<アンビバレンスを乗りこえる現実構築力>であった。(概念名は『』、サブカテゴリー名は[]、カテゴリー名は【】、コアカテゴリーは<>で示し、以下にストーリーラインを示す)
<安心立命>へのプロセスは、【何しろ障害】ということで右往左往していたところから、【腹を括ってこの子と生きる】覚悟を決め、【孤軍奮闘のプロセス】となる。[自分の魂にやすりをかけられるような日々]、子どもの障害や周囲の人びと、世間等との闘いの始まりであった。奮闘する日々の挙げ句に、[子どもとの関係の変化]が起き、【普通の暮らし】にたどり着く。【普通の暮らし】は[終わりよければすべて良し]な[たどりついた平常心]の境地である。しかし、それは障害や多くの困難が終熄したのではなく、むしろ【普通の暮らし】として受け入れられるようになった状態である。また、新たな[親なき後対策]も必要であり、『WS34見果てぬ夢』は終わらない。そのプロセスを支えるのが<アンビバレンスを乗りこえる現実構築力>である。【何しろ障害】だから【腹を括ってこの子と生きる】覚悟を決めるに当たっては、【初動への原動力】が働くのだが、それは所与のものとして選択の余地や考えるいとまもない自然の成り行き、[予め約束された家族の引き受け]なのである。同時に良くも悪くも[専門家集団の影響]は大きい。その【プロセスを支えるコツー信念化された力】はまずは[自負心]であり、人間関係にも状況に対しても[ほどほどな距離感]を持つことも重要である。重要な資源は、実は[自分で選ぶ具体的な支え]である。【支えの軸となる社会福祉施設】の存在は大きいが、それには【お世話になることのアンビバレンス】も伴う。また、家族はまずは引き受けるのだが、そこに社会的に付与されている意味は、「本人主体で自律的にサポートせよ」である。本人と家族、家族と社会の入れ子になった二重の二重拘束的状態、【家族の二重拘束的必然】である。しかし、家族はそれを疑わない。その与えられたと思われる社会的役割に極めて素直に応じるべく力を尽くす。
分析の結果から、決して思い通りにいかない日常生活の現状を、そのズレやアンビバレンスを乗りこえて肯定的なものへと変換させている家族のプロセスが明らかになった。それは、単に絶望から受容へと直線的に変化するのではなく、受け入れては、絶望し、落ち込んでは、パワフルになり、という絶望と期待、安心立命と見果てぬ夢の繰り返しのプロセスである。それはまさしくシンボリックな相互作用である。家族は家族について自分が持つ意味に則って行動する。その意味は社会的相互作用から導きだされ、修正を加えられ、さらに自らの行為に付与した意味が社会的リアリティを構築していく。であれば、ここでナラティヴアプローチを持ち出すまでもなく、家族主体の家族支援とは、その家族の現在の行為、予測される行為が、家族にとって過重な引き受けとならないような家族との対話であり、少しでも家族がズレやアンビバレンスを乗りこえるための無理をすることなく使える社会資源の豊富なメニューであり、その調整であると考えられた。
本研究はH18-20度科学研究費補助金基盤研究(C)の助成によるものである。