自由研究発表司法福祉・更生保護1  長谷川 洋昭

島嶼地域における保護司活動
-「流刑の島」八丈町の実践-

日本大学大学院  長谷川 洋昭 (会員番号6079)
キーワード: 《保護司》 《島嶼流刑地》 《流刑地》

1.研 究 目 的

我が国の更生保護制度を見渡したとき、地域における保護司の活動が当該制度の中核を担っている実際があること、これについてはもはや言を俟たないといえる。しかし今や多くの地域において、都市化による居住環境の変化や少子高齢化などに起因するコミュニティーの希薄化、さらには個人情報の取り扱い意識の高まりによる相互不干渉などが指摘されており、それに伴って、地域の理解と協力なしでは成立しない更生保護活動の滞りが懸念されている。そこで、地域が持つ特徴を概観すると、都市部とは対極のものととらえられる「島嶼地域」が持つ風土には、本土におけるそれと大きく変わるところが散見された。中でも伊豆七島の「八丈島」は、かつての「流刑地」、「流人の島」としてその名を伝え、独自の文化が形成されていることが知られている。
地域に罪を犯した者を受け入れ、ともに生活を送ってきた八丈島の歴史は、まさしく地域での関わりに基盤を置く現在の更生保護活動に通じるものがあるのではないかと考えた。更生保護領域におけるソーシャルインクルージョンの源流の一つとでもいうべき八丈島の現在を明らかにすることは、ソーシャルインクルージョンという理念が刑事政策に明確化される潮流の中で意義のあるものと考える。本研究では、かつて「流人」を島社会に受け入れてきた歴史の素地が、現在どのような形で更生保護活動に現れているのか否か、その一端を明らかにすることを目的とした。

2.研究の視点および方法

先行研究として、犯罪の都市化や保護司活動の課題を取り上げたものは見受けられる。しかしながら、「流刑地」として地域に罪を犯した者を受け入れ、ともに生活を送ってきた歴史が、地域での関わりに基盤を置くという現在の更生保護活動へ影響を及ぼしているか否かを明らかにする視点での研究は見あたらない。本研究では、八丈島において実践されている保護司活動に焦点を絞り、歴史的文化的背景の残滓を現在の更生保護活動に見出しているか否か、合わせて実際の活動の中で保護司が感じている島嶼部ならではの処遇上の利点や難点を浮かび上がらせる。
東京島部保護司会は「大島分区」「三宅島分区」「八丈島分区」の3つの分区に分かれ、合計25人の保護司が保護観察の者への面接・相談援助活動や犯罪予防活動などを行なっている。このうち「八丈島分区」には計7名(うち女性2名)の保護司が、八丈町・青ヶ島村・小笠原村を担当している。
調査に先立ち、八丈島の事件・事故に関する現状及び保護観察等の現状を把握するとともに、流刑地であった歴史とその実態について文献研究を行った。その上で、東京島部保護司会八丈島分区長に、調査の趣旨と八丈島分区所属の全保護司に対してのアンケート調査用紙郵送の承諾を得た。そして事前に送付した調査用紙を元に現地にてヒアリングを実施した。併せて八丈島の地域新聞である「南海タイムス社(昭和6(1931)年創刊)」の社長、「八丈町社会福祉協議会」の事務局長にもヒアリングを行い地域の実情の把握に努めた。

3.倫理的配慮

本学会研究倫理指針(2004)を確実に踏まえることに留意した。インタビューを行うにあたっては本研究の趣旨説明を調査対象者に行い、同意を得た。また調査対象者に関しては、公表されたデータ以外について個人もしくは部署を特定されないよう留意し、対象者の名誉とプライバシーを損なうことのないようにした。調査用紙原本及びその結果に関しては開示請求に応ずべく発表日より5年間は保存する。

4.研 究 結 果

(八丈島の流人と文化) 八丈島の流刑史は、慶長11(1606)年4月、関が原の合戦の負将宇喜多秀家主従13人が配流されたことから始まる。以後明治4(1871)年までの265年間に八丈島遠島の判決を受けたものは、その付添い人含め1,865人とされている(八丈実記)。幾多もの流罪者がこの「鳥も通わぬ絶海の孤島」に送られてきたが、これを徳川将軍の治世別に見ると、4代将軍家綱時代(在位慶安4(1651)年~延宝8(1680)年)の頃から人数が増え、5代将軍綱吉時代(在位延宝8(1680)年~宝永6(1709)年)から大幅に増加している。これは幕府政権の基盤の安定と共に、戦国の気風を色濃く残した武断政治から文治政治へとの転換が図られる中で、罪一等を減じ配流とされる者が増加したと考えられる。現在島に伝わる食文化や建築様式、民間信仰などには、さまざまな地方からやってきた「流人」たちが伝えたものにその起源を辿れるものも多い。八丈島のユニークな文化は、地元島民と流人たちの交流が活発であったことの証左であるとも言える。
(八丈島の更生保護活動の現況)
八丈島の総人口は8,375人、世帯数は4,616世帯(平成21年5月1日現在)である。そして島内における保護観察事件の状況は、総数3人(平成21年4月現在)であり全て「4号観察」の者である。それらのうち島内での事件は、道路交通法違反(酒気帯び運転)の1件のみである。また生活環境調整事件は、総数5人であり、そのうち島内での事件は、窃盗の2件であった。
警視庁八丈島警察署には6つの駐在所が配置されているが、視認したところ、警視庁管内の交番・駐在所には通常入り口に掲示されている「管内交通事故件数」の掲示板がここには掲げられていない。島内の交通事故死傷者数は、年度によっては一桁台である事から「不要」との理由も合理的ではあるが、地元紙によると、「警察も積極的には発表しない傾向があるように感じられる。しかしこの配慮は島にとって決して悪いことではない。」「社でも島の事件・事故は、よほど大きなことでないと載せない。載せても名前は出さない。なぜなら狭い島なのですぐ誰かわかってしまい、その結果居心地が悪くなったりトラブルが生じたりする。」という見方もしている。都市部においては住民同士の「顔の見える関係」がさも理想的な地域の在り様のように捉える向きがあるが、こと島嶼部の更生保護活動においては場合により精神的負荷が大となる状況も想定できる。
この八丈島における更生保護活動を担っているのが、東京島部保護司会八丈島分区の7名である。彼らの平均年齢は63歳、保護司の経験年数は平均11年6ヶ月である。島嶼地域における保護司活動の困難さについて、ほぼ全ての人が「狭い地域なので秘匿が困難である」と述べており、往訪時・来訪時においては周りの目に対して細心の配慮を行っている。そのような保護司活動の処遇上において一番苦労していることの一つに「就労支援」が挙げられた。仮に対象者がまじめに正業につきたいという意思を示していても、島では斡旋する就職先がなかなか見つからない。現在島内には協力雇用主が1社も登録されておらず、保護司個人の関係を頼って就労先を探す他ないがそれにも限界がある。このような状況は、他の島嶼部においても共通の課題であろう。
また、7月に全国一斉に行われる「社会を明るくする運動」や「薬物乱用防止教室」といった「犯罪予防活動」を実施することに対しては、「余り頑張って活動しても『保護司が保護司のための活動をしている』という様に取られかねない」と葛藤する回答が寄せられた。都市部と状況は異なり事件数も少ない中、最近全国的に推進されている学校との連携についても、学校側の理解が得られにくい状況に保護司会としても頭を悩ませている。島部の保護司会としては、全国一律に定めた制度や理念、方針を島部にそのまま当てはめるのではなく、それぞれの地区会の実情に即した展開を模索したいと考えているが、少人数での活動のためのジレンマも抱えていた。
八丈島のそれぞれの地域では、住民はお互いがほとんどが見知っている関係であるが、島にしては閉鎖的ではない、と南海タイムス社長は話す。これは流人も含んで「新人(あらひと)好み」と言われる、昔からの島民の性格もあるのではないか。かつての島の流人は比較的自由な生活が許されており、狭い島の中で島民たちとお互いに避けることはなかった。保護司会へのヒアリングでも、八丈島には入ってきた人を差別しない土壌としては確かにある、罪を犯した人に対してもある意味寛容なところはあるとの声が聞かれた。また流人を受け入れてきた文化的背景が現代にもつながっていると感じている保護司もいる。
八丈島における更生保護活動は、就労先の確保や他機関との連携などいくつかの課題を抱えている。しかしながら地域が持つ歴史や文化が、ハンディを負った人をとりまく環境に何らかの影響を及ぼすことを考えさせる点では、地域特性を考慮する時にあたりよき事例と考えられる。

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