地域における社会福祉の史的展開
-東京都町田市の事例を中心に-
東京家政学院大学 嶋田 芳男(会員番号4496)
キーワード: 《社会福祉史》 《福祉のまちづくり》 《地域空間のバリアフリー》 《障害者の社会参加》
今日、地域福祉が主流化するなかで、地方自治体もガバメントからガバナンスの主体となることが期待されている。また、武川が「地域福祉は社協の専管事項ではない。地方自治体も地域福祉の当事者である」と指摘しているように、地方自治体も当事者という立場で地域福祉を推進していかなければならない必要性が生じている。このような地方自治体が主体となった取り組みは、すでに東京都町田市において実践されていた。町田市では、地域空間のバリアフリー化を推進するため、全国に先駆け1974年に「町田市の建築物等に関する福祉環境整備要綱」(以下、福祉環境整備要綱)を作成し地域空間のバリアフリー化を進めた。その後も同市では、同要綱の改正(1984年)や要綱の条例化(1993年公布)により地域空間のバリアフリー化を積極的に図った。また、地域空間のバリアフリー化に関わる施策が展開された同年代(1970年代から1990年代初頭まで)に障害者の社会参加に関する施策も積極的に展開していた。
そこで本発表では、今後の地方自治体のあり方を模索していくために、町田市で実践された社会福祉施策を検討・考察していく。
福祉環境整備要綱の作成、同要綱の改正および「町田市福祉のまちづくり総合推進条例」の制定にいたるまでの過程および障害者の社会参加に関わる各種事業について、それら社会福祉施策が展開された背景や障害者・住民の声がどのような形で施策に反映され、どのような効果をもたらしたのかをおもに文献研究により明らかにしていく。
3.研 究 結 果(1)地域空間のバリアフリー化への取り組みに対して
1972年に導入されたリフト付き車両は、おもに障害者の声や置かれていた環境上の課題に対しての取り組みであった。リフト付き車両の導入がきっかけとなり、障害者がボランティアとともに市内を点検し、その成果を『車椅子町田ガイド』にまとめたことは、障害者のなかに社会参加意識が醸成された結果であるといえる。
この後、リフト付き車両を利用した障害者の声などにより、地域空間のバリアフリー化に関する要綱の必要性が認識され作成されたが、この福祉環境整備要綱の作成過程においても障害者の参加があった。こうした地域空間のバリアフリー化に関する要綱が比較的スムーズに制定された背景には、大下市長の積極的な関与と住民の福祉に対する関心と理解が高かったと推察できる。これに関しては、一般住民も含んだ「市民懇談会(福祉研究会)」の結論や1975年に全市域を対象に行われたアンケート結果のなかで、「最近、地方自治体の財政状況が苦しくなったと言われていますが、どんなに苦しくなっても町田市としてぜひこれだけは力を入れてやって欲しいというものがあれば次の中から選んでください(複数回答)」という問いに対し、「福祉の充実」が上位に位置づけられていた点からみても妥当な見解であると考える。そして、福祉環境整備要綱作成後もまちづくりに関する障害者の社会参加意識が醸成されていた。
さらに、福祉環境整備要綱改正に際しても、障害者からの意見が聴取され、その意見が要綱の規定に盛り込まれるとともに、1993年に制定された「町田市福祉のまちづくり総合推進条例」においても一般住民・当事者(高齢者)の意見が反映された。
また、1974年に作成された福祉環境整備要綱や1984年に改正された要綱には、地域空間のバリアフリー化を進めていくうえでの強制力がともなっていなかったため、行政の「説得による指導」で推進が図られた。これは、要綱に強制力が無いため、説得により理解を得る働きかけを事業者に行っていかざるを得なかったことを意味する。しかし、この「説得による指導」は、市職員の福祉に対する理解や関心、あるいは住民・住民である事業者の福祉に対する理解を向上させる土壌を醸成する役割を果したということができる。なぜならば、市職員に理解や関心がなければ住民・事業者を納得させることは到底できず、住民である事業者も福祉に対する理解を示さなければ納得しないからである。そして、福祉環境整備要綱の作成に深く関わり、要綱に基づく「説得による指導」に大きな役割を果たすとともに、市役所内の障害者に対する考え方に大きな影響を及ぼしたのが障害者として福祉事務所に勤務していた職員であることをつけ加えておきたい。
(2)障害者の社会参加への取り組みに対して
町田市では、障害者の社会参加のためにさまざまな就労の場が用意された。こうした就労の場が確保された要因は、障害者の親などとの交流や障害者などの声に自治体が関心を持ち、積極的に施策に反映させていった結果であるといえる。
障害者の就労場所が整備されていく過程では、自治体が障害者と積極的に関わり、障害者それぞれの特徴を生かした就労場所を整備していった。障害者の身体状況に合った花の栽培、屋外の作業に適した者はしいたけや野菜の栽培、陶芸に興味を示す者には陶芸作業、動物好きの者のためにはリス園、市民の憩いの場となっているダリア園や各種庭園でのチケット販売や軽作業、名産品店や喫茶・レストランでの接客など実にさまざまである。こうした個別性に配慮した作業所の整備は、障害者との交流のなかで作業に従事している障害者の姿や声を見逃さずに反映させた結果であるといえる。
そして、町田市は、高度経済成長期に発展した新興都市であり、ほかの歴史ある地域に比べると誇れるようなめぼしい名産品が無かった。このため、障害者の就労場所を整備する際、市の名産品や観光名所づくりをもあわせて進めていきたいというような思いが背景にあり、各種事業を展開していた。このため、各事業分野の専門家の助言・協力を得ながら自治体と障害者、障害者団体などが協力し、社会で通用するものづくりや社会で求めている名所づくりを行っていた。
美術工芸館で作成された干支の置物、大賀藕絲館の蓮の糸で作った町田藕絲織や香袋、なかでも町田蓮座と茄糸織は町田市の名産品に指定されるほどになっており、同市に副次的効果をもたらした。また、リス園やダリア園の2005年度における入園者数をみると、リス園87,477人、ダリア園が11,010人である。開園当初と比較すると減少しているが、現在も非常に多くの者が利用している状況で町田市の観光名所として十分機能しており、副次的効果を同市にもたらしている。
さらに、住民と自然な形で交流する場となっているリス園やダリア園、他の草花苑、喫茶・レストラン部門などの整備は、住民の障害者に対する偏見や差別をなくすための福祉教育の場として機能することをも当初から期待されていた。リス園を例にとると、同園を訪れた住民の多くは、一般の公園という認識で訪れているため、そこで働いている障害者と自然な姿で交流しており、その目的は達成していたといえるだろう。
町田市報『広報まちだ』では、障害者のために整備した就労場所の記事を機会があるごとに掲載し、障害者の就労状況をも含めた形で近況報告し、一般住民の障害者への理解や関心を向上させる有用な取り組みも行っていた。