自由研究発表地域福祉1  中嶌 洋

竹内吉正の内面に於けるホームヘルプ事業化構想の成立と展開
-1950年代の長野県上田市の事例を中心に-

帝京平成大学  中嶌 洋(会員番号5048)
キーワード: 《上田市社会福祉協議会》 《家庭養護婦派遣事業》 《ぐるみ運動》

1.研 究 目 的

竹内吉正は,上田市社会福祉協議会初代事務局長として活躍した聖公会に属するクリスチャンである.その実践の中心は「ホームヘルプ事業化」にあったといっても過言ではない.
  まず,竹内の福祉実践の発端は,彼の特殊な家庭環境にあった.両親が早逝し,8人兄妹で「以和為貴」との家訓の下,生活する中で,竹内の人生目標が形成された.それが母子家庭を中心とした困窮世帯出身の寡婦の活用であった.さらに,この独自思想は,ミス・ベーツとの邂逅や上田聖ミカエル及諸天使教会婦人会会員らとの関わりの中でより明確になり,やがてホームヘルプ事業創設という実践的発想へと結びついた.その根底には,「動乱・分立・貧困」の改良を目ざす「静寂・連帯・知識」という彼独自の観念があった.
  本発表は,このような経過の中で成立する竹内のホームヘルプ事業化構想の展開を考察することを主眼に置く. 本発表では,聖公会会員として母子福祉を中心とした社会福祉実践に生涯を捧げた竹内の内面において,彼の生育歴やキリスト教信仰がいかなる影響を及ぼしたのか,さらには,それらが彼の目ざしたホームヘルプ事業化構想にどのように結びつき,いかにして彼の人生哲学へと発展していったのかについて考察することを目的とする.この考察は,1950年代当時の上田市における母子福祉事業を中心とした民間福祉理念の一端を理解することにつながると考える.

2.研究の視点および方法

竹内の思想研究は,あまり多くはなく,上田明照会を中心とした仏教社会事業の展開との関わりからアプローチした荏原順子(2008:1-12)の「ホームヘルプサービス事業揺籃期の研究」が近年の成果としてあげられる.同研究では,1960(昭和35)年から1988(昭和63)年までの竹内の8本の論稿の概要が整理されている.なかでも,竹内が元厚生省老人福祉専門官,森幹郎(1972:31-9)の薦めで執筆した「ホームヘルプ制度の沿革と現状――長野県の場合を中心に」(竹内 1974:54-75)は意義深い.なぜなら,散発的なボランティア活動を家庭養護婦派遣事業へと組織化する上での契機となった同市在住の民間女性Kさんを初めて取り上げたことでその後研究上多用され,一定の評価を得ているからである(保健福祉地区組織育成中央協議会 1959:17-21;全国民生委員児童委員協議会 1988:715-6;上村富江 1997:247-57;長野県社協 2003:35;「五十年のあゆみ」編纂委員会 2004:28;山田 2005:196-7;上田市社協 2006:186など).しかしながら,同事業化において市社協事務局長として尽力した,鍵人物である竹内本人の言動や功績が論稿中に十分とり上げられていないところに研究の余地があると思われる.また,山田知子(2005:178-98)は「家庭養護婦勤務状況報告書」や「家庭養護婦服務心得」等の豊富な史料を掘り起こし,同事業における女性職性を考察しているが,同事業の担い手としての家庭養護婦たちが何故,寡婦の中から採用されることが多かったのか,いかにして素人の寡婦を一公的職業人としての家庭養護婦へと育成していったのかといった専門職化における発展過程が必ずしも明確にされていない.
  一方,行政資料においては,長野県社会部(1961:201-2)や長野県厚生課(1963:124)が初期(1956-59年)の「家庭養護婦派遣事業実施状況」を一覧表に分類しているが,これら県の通達が各市町村に伝播する過程で,社協関係者がどのように創意工夫を凝らし,苦労体験をしてきたのか,あるいは,そうした県の通知と市町村社協の方針をいかに整合させたのかといったところにも研究上の課題が残されていると考える.「『未亡人』の職業開拓の一環として政策的に構造化された」と指摘する山田(2005:185)や「『家庭養護婦派遣事業補助要綱』告示に至った経過も単なる偶然ではなく……」と言及する荏原(2008:9)らの視点は評価できるものの,その詳細まで検証されていない.それ故,こうしたホームヘルプという新規事業の創設過程において,素人であった寡婦をいかにして家庭養護婦として組織化し,一職業人にさせようとしたのかという発展過程に着目したい.
  研究方法としては,聞き取り調査と史料解読の二つがあげられる.前者については,竹内氏本人への聞き取り調査(2007年8月15日及び17日,於 うえだはら敬老園)並びに上村富江氏への聞き取り調査(2006年12月13日,於 全労災長野県本部3階)の結果を用い,後者については,竹内及びその周辺を詳述した花里家の内部資料である『以和為貴――花里家の記録』(1993)を中心に,これまでの竹内の論稿や『日本聖公会上田聖ミカエル及諸天使教会宣教百周年記念 第1輯』(2001)などを援用する.

3.倫理的配慮

倫理的配慮に関しては、竹内の関係者である、実兄、花里吉見氏及び実妹、宮坂和子氏から、本研究に対し快く賛同していただき、公表の承諾を得た。

4.研 究 結 果

竹内は,両親との永別,出征入隊,病気療養等の苦労体験をする中で,婦人宣教師ミス・ベーツの思想的影響を受けたことによって,「宣教活動」と「社会事業」を人生上の二大使命とし得た.この過程で,家訓でもあった「以和為貴」は兄妹8人のみでの生活で培われた忍耐力と人間愛へと形を変え,やがて上田聖ミカエル及諸天使教会婦人会員らをはじめとする一般地域住民との関係性の構築に寄与していった.「隣人愛」や「絶対的奉仕」という新たな世界観の獲得は,竹内に,1950年代当時県下に多数いた寡婦の生活改善・職業開拓を注視させ,自己の経験知や倫理観との照合から,「ホームヘルプ」による新規事業の展開を命題とする結果をもたらした.このようにして、求心力をもたらす祈りにみられた「静寂」,主体性喚起のためのぐるみ運動にみられた「連帯」,懇談会や運営研究集会における相互学習を通しての「知識」の三つをキーワードとする竹内のホームヘルプ事業化構想の形成がみられた.

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