特定課題セッションIV :ソーシャルワーク実践における倫理的ジレンマ  岡崎 幸友

対人支援における「主体」であることの意味
 -ディレンマから読み取る「主体者」としての「私」たち-

○ 吉備国際大学  岡崎 幸友 (会員番号3447)
キーワード: 《対人支援関係》 《利用者主体》 《主体と主体》

1.研 究 目 的

社会福祉実践において支援者に求められる役割は、利用者の意志を尊重しつつ「利益」を実現することにあるが、 実現できない「利益」と直面したときに、支援者は「ディレンマ」を抱えることになる。この場合、大抵、利用者に とってより良い「利益」を見いだしたり、何らかの理由を付けたりして、優先する「利益」を見極めてその実現を 目指し、支援者としての役割を遂行するように努めている。
 だが、たとえば、支援者から見て「客体」にある利用者を「主体」とすべきという「利用者主体」は、「利益」を 基準にすれば実現できるとしても、真に「主体」であることの実現と、その実現が支援者の態度に還元されるという 意味で、「二重のディレンマ」であり、また「利益」を基準にできないのだから、解決への道も閉ざされてしまっ ている。
 そこで本発表では、対人支援の文脈における「支援者(=私)」が、「利用者(=相手)」と対峙した際に生じる 「ディレンマ」に焦点を当て、その原因と意味、また解決に向けての道筋について追求することを目的としている。

2.研究の視点および方法

対人支援は「私」が「相手」と出会うことから始まり、また「相手」は「私」の世界において「客体」として 登場するため、「主体と客体」の関係にある、と表現できる。
 この関係を修正し、「相手」が支援行為における文脈的主語であるという認識を生み出すスローガン、あるいは 目標として「利用者主体」が重んじられているが、その意味するところは、「相手」が描写する世界を実現する ことにあると言えるだろう。
 しかし、相手が世界を描写することができたとしても、それを受け取るのが「私」である以上、「利用者が主体」 であることは、「私」の中での認識に過ぎず、結局「相手」は「客体」のままとなる。また利用者が「私」を客体 として描写したとしても、「私」が「私」のなかで「客体化」されることは決してないのだから、その意味で「主体 と主体」という関係は、文法上記述できて、また頭の中で理解できたとしても、この枠組みを前提としている以上 、実現することはあり得ない。
   つまり「利用者主体」について考えることは、「主体」と「客体」にある支援関係が、双方とも「主体」としなけ ればならない構造的なディレンマに陥り、さらにこのディレンマに取り組む毎に、支援者は「相手」を「主体」に できないディレンマと向き合うことになる。この問題は、不対等を根底にしているのだから、対等な関係の枠組み を構築すること以外では解決を見いだすことはできない。そこで、それぞれの立場に焦点を当て、このディレンマ を打開する道筋について考えてみたい。
 岩田は「私」について、「私は根元的に『主格(je)』ではなく『対格(se)』なのである」(2008:155)と 述べた上で、相手との関係は「私と他者との関係は繊細微妙な関係で、分かる者には分かるが、分からない者には 分からない」(2008:154)と指摘している。岩田の指摘が意味するところは、「利用者主体のディレンマ」は、 「私(=主体)」一人の問題なのではなく、「相手(=客体)」と対になって現れる問題であることを意味し、 その問題が持つ意味は「私たちにしか分からない」ことを示唆している。
 また、中村は、他者との出会いを三つの次元で捉えた上で、他者について「思考できる/思考できないといった 二項とは異なる第三項」(2009:92)として、「私は他者に対して無関心でいることはできない」(2009:92)と いう「他者の次元」を提示し、「『私がこの他者だったかもしれない』」(2009:93)という「他者との同一視」 を切り拓いている。中村が示す「他者の次元」(=「そうだったかもしれない」)を、「私」の想像の範囲内で 理解するのではなく、常に私の意識下に置かれている「相手」は、実は「負い目・罪の意識」を通して引き受 けた「私」である、という思考を提示していることを意味している。この次元においては「主客」の解釈は無 意味となる。

3.倫理的配慮

本研究における参考文献、引用文献の取扱、およびその他の事項については、日本社会福祉学会倫理研究指針に基づいて行った。特に文献引用の際には、自説と他説を峻別することに注意を払った。

4.研 究 結 果

対人支援における問題はすべて「関係の場」で生じるのだから、その関係のあり方を問うことは、支援者に 科せられた義務である。今回取り上げた「利用者主体」についても同様で、突き詰めれば、その生活の主体者で あることを確認する事項でしかない。だが、人生の一回性を鑑みれば、すべての人が自分の人生の主体者である にも関わらず、社会福祉領域で強調されるのは「べき論」で語られる倫理的理由が背景にあるからではなかろう か。
 ディレンマは、利益の対立から生じることが多いが、対人支援においては「相手」との関係のあり方そのもの にも生じるのだから、「主体」であることの意味を思考し続けることは、われわれに科せられた課題であると 言えよう。

参考文献
岩田靖夫(2008) 「いま哲学とはなにか」 岩波新書
中村剛(2009) 「福祉哲学の構想」 みらい

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