障害福祉と国際開発協力の接点:国際権利条約32条のインパクト
○ 国連NY本部、開発協力政策課、上席経済問題担当官 長田 こずえ (会員番号6523)
キーワード: 《障害者の権利条約》 《メインストリーミング》 《障害者福祉開発》
この研究は歴史的な視点から、障害者権利条約の開発と福祉分野におけるインパクトを考察し、筆者が構築した 「障害の権利モデル」を軸に、障害福祉と開発の接点を見出すことにある。本論文で提唱されるモデルの理論的な 基礎をなすカテゴリーは、[1]障害概念の文化における相対性、[2]社会と障害者の相互作用(態度の変革の必要性) 、[3]差異の権利、[4]障害(者)の多様性、[5]インペアメントとリハビリテーションの取り戻し、[6]普遍的な人権 、法的措置と障害者に対する態度の向上を目指すプロアクティブな活動の必要性の軸から成り立っている。これらの 理論的な軸を、国際開発協力における障害メインストリーミングのツールとして応用することを試みる。研究の方法 は歴史的な資料、統計、会議報告書の分析など、デスクワークの検証のほか、途上国の障害者の個人的な障害経験や 参加型のフィールド調査、筆者の中東、アジアを主とする20年近い途上国での体験的知見も参考とした。
2.研究の視点および方法本研究はヨルダンとレバノンの首都アンマン、ベイルートの貧困層コミュニティーにおいて行われた、社会学の 質的調査手法である聞き取り調査、参与観察、PRA,フィールドワーク、また、2005年に筆者がJICAの調査のため行 った量的調査(サーベイ)のSPSS分析と上記のデスクワークなどを基にした、いわゆるTriangular Research として 位置づける。
3.倫理的配慮研究の内容を調査参加者(開発ワーカー、障害当事者、家族、福祉担当者など)に説明し、参加について文書による 同意を得た。また、参加型の調査でもあるので、調査研究書の制作過程に一部の参加者本人がかかわり、調査を共有 するエンパワーメントプロセスが重視された。英語版の調査研究は参加者に送られた。
4.研 究 結 果歴史的考察(国連の動き:権利条約実行)
2006年12月13日に国連第61回総会は、決議案61/106において、障害者権利条約を採択した。2007年4月に20カ国の
批准が寄託され、翌月の5月に正式に発効された。2009年3月現在、139カ国が署名、50カ国が批准した。この条約は
条項32条の中に、開発・国際協力に関する項目を、しっかりと組み込み、途上国での実施のためには、国際協力が
必須であることを明確にした。他方、2005年9月14日から16日まで国連本部で世界首脳サミットが開催され、2000年
に採択されたミレニアム開発目標の再認識がなされたが、この会議でも、国連機関の改革に並行して、国連の人権、
福祉分野の活動と開発協力分野の活動の統合という課題が焦点となった。国連は障害者の他にも女性、子供、移民
労働者など社会的弱者の人権保障を推進するために対象別に人権条約や宣言を採択してきた。権利条約は批准国に
法的な拘束力を義務付け、国内の障害者立法の整備を促す優れたものであり、また32条に基づき、国際協力や国際
開発を促進することを義務付けている。にもかかわらず、多くの開発途上国は資源の導入と活用、国のキャパシティ
・ビルディング(能力構築)や社会政策プログラムへの組み込みといった開発的な側面をより重視しており、人権
〈特に市民権〉や差別禁止法だけが重視されることを懸念している。いずれにしても、権利条約制定によって障害
福祉と開発協力の接点の視点が再形成された。
結果
結果的には、既存の「障害の医療モデル」や「障害の社会モデル」ではない、筆者が提唱するところの、医療福祉や
リハビリテーションの役割を見直した、多面的で統合的な「障害の権利モデル」(WHO-ICF, CBR の概念に似通った
モデル)が両国の障害当事者、家族、開発ワーカー、福祉関係者にも指示された。さらに、このモデルは障害福祉と
開発協力の接点を見出すためにも有効であると立証された。
障害福祉と開発の接点
開発途上国の貧困問題は開発課題の最優先問題である。障害と貧困の関連は言うまでもない。障害は貧困の結果
であり、また貧困の原因でもある。従って、障害の視点なくしては開発や貧困撲滅を論じることはできない。世界
の人口の10%を障害者と推定すると、その数は6億人、そのうち8割が開発途上国に生活している。障害者の識字率
は1割以下、障害者の4割が貧困者であり、同時に貧困者全体の約2~3割が障害者であるとも推定される。同時に、
障害者の社会参加は限られている。医療費やリハビリの負担も高く、教育や雇用の機会も限定され、その結果、
障害者とその家族が貧困に陥る可能性も高い。国際協力とは、国際開発協力が障害者にとってインクルーシブである
こと、情報・経験の交換、リハビリやCBR、訓練の支援、研究ならびに科学的・技術的知識へのアクセスの確保、
福祉器具の提供、技術移転、技術援助、そして経済的な支援など包括的なものとして定義されている。条約の32条
において、途上国で権利条約を実行するためには、締約国であるドナー諸国の国際協力の義務を明記し、国際人権
条約の中で、開発協力の重要性を重視する先例を作った。同時に国際的にダイナミックな展開を見せている障害の
モデルを、「医療モデル」から、「社会モデル i」へ、さらに、筆者が提唱する、社会福祉の役割をも再認識する
包括的な「障害の権利モデル」へと進化させた。途上国におけるリハビリや医療福祉の領域、障害の原因予防の必
要性を、人権として見直すことも必要である。
障害を福祉分野や医療セクターなどの開発協力へメインストリーム化には3つのレベルがある。まずは、JICAや
国連開発機関、世界銀行などの開発団体の組織内でのメインストリーム化。2番目は、これらの援助機関が実行して
いくプログラム、プロジェクトレベルでのメインストリーム化、そして、最終的には、それらの活動の成果として
の、受入国での開発的、福祉的な改善そのもの、つまりインパクトの観点から見たメインストリーム化である (障
害者の生活が向上するためのメインストリーム化である)。?に関しては、JICAなどの組織がトップのレベルで、障害
と開発の課題を認識し、ポリシーとすること。障害担当者を置くこと。障害者の平等を意識する組織内の文化を構築
すること。そのためには、障害の社会モデル的な障害者の経験を重視した、職員対象の訓練が必要である。?に関して
は、実際のプログラムにおいての対策で、障害と福祉分野の連携、障害を統計や研究に組み込むこと、貧困分析などの
調査に障害者の貧困調査を組み込むこと、物理的情報的アクセシビリティーを組み込むこと、PRSPや国連開発グループ
の各国開発フレームワークに障害福祉の視点を組み込むこと、そしてあらゆるプロジェクトに関して、障害者団体が
参加できるようなプロジェクト評価・モニタリング対策を導入することなどである。?の分野は、最近のODA環境で要求
されることであり、もはや評価の対象は、「障害女性が何人CBR〈地域に根ざすリハビリテーション〉の訓練を受けたか」
というような、数えやすいアウトプットベースのものではなくなってきた。最終的な結果が問われるのである。したが
って、「障害者に関する国内政策に変化があったか」「障害者法は改善されたか」「障害者に対する差別は緩和されたか」で
あり、インパクトベースの目標である。障害者の福祉は本当に向上したのか?障害者が政策決定に参加したのか?
しかし筆者の分析は、これらよりさらに大切なのは、障害者の生活がよくなったかどうかの評価である。障害者福祉
の最終的な目的も障害者の生活の向上と自立であろう。このためには、少なくとも障害者教育統計、障害者の雇用統計
、障害者の貧困に対する統計が必要と思われる。よい例としてはスリランカの例がある。スリランカ政府の2003年の統
計によると、障害者の90%の一日の賃金は2ドル以下であり、81%の障害者の一日の賃金は1ドル以下である ii。これは
数少ない公式統計であり、世界中の研究者が引用している。さて最後に、途上国の障害者はいつまでも国内統計局の
役所仕事を待っているわけにはいかない。参加型のPRAや障害者団体が研究の成果をコントロールする、いわゆる解放型
の研究〈障害者を差別から解放する目的を持った研究参加過程を重視する研究〉、英語では"Emancipation Research"
などを採用して、自分たちでパイロット研究を行うことが大切である(筆者のヨルダン現地調査手法を参考に)。こう
いった地味な活動についても、日本の公的なODA団体や、福祉専門家、NGOが支援できるのではないだろうか。
ながた こずえ/国連ニューヨーク本部経済社会理事会事務局開発協力政策課上級経済問題担当官)本稿は筆者の
個人的な意向であり、必ずしも国連の見解を代表しない。
i このモデルの一部の過激な提唱者は、社会的な問題の解決をあまりにも重視しすぎたため、障害の原因予防、 医療的なリハビリや福祉的な介入を軽視してきた面もある。
ii Ministry of Social Welfare, Sri Lanka, National Policy on Disability, Cabinet Paper, 03/1292/ 155/013, 2003.