【第21回】困難に立ち向かう子どもや若者が、自らの力を信じて夢を抱けるように(澤田 佳代)

澤田佳代

静岡大学浜松キャンパス 学生支援センター 障害学生支援部門
修学サポート室『こみさぽ』コーディネーター
澤田 佳代

自己紹介

 私は静岡大学浜松キャンパスの学生支援センターで勤務しており、主に障害のある学生の支援を担当しています。前職では、キャンパスソーシャルワークやハラスメント相談、地域におけるスクールソーシャルワークなど、学校現場を中心に実践を積んできました。様々な年齢の子どもや若者と関わる中で、「社会との接点で育まれる人の成長や発達」に興味を持ち、愛知県立大学大学院人間発達学研究科に進学しました。現在は博士後期課程に在籍しています。
 福祉実践との出会いは、学生時代に遡ります。当時の専攻は「労働経済学」で、後進国の貧困問題に関心を持って学んでいました。夏休みには神父さんと共にフィリピンを訪れ、貧しい子どもたちのための学校づくりに参加したことが、福祉実践の最初の一歩でした。その後、社会人となり、情報処理のTAとして勤務していた大学で、貧困や障害を抱えながら学ぶ学生たちと出会いました。彼らから寄せられる相談に対して、少しでも適切な回答ができるようにと、日本福祉大学通信教育部で精神保健福祉を学びました。この経験が今の実践につながっています。
 今後も実践や研究を通じて、困難に立ち向かう子どもや若者が、自らの力を信じて未来に夢を抱けるような福祉社会の実現に、微力ながら貢献していきたいと願っています。

研究内容

 博士前期課程では、アメリカの文献をもとに「トラウマ・インフォームド・アプローチ」について日本の学校現場への適用可能性を検討しました。博士後期課程では、歴史研究の意義を学び、知的障害があったとされる放浪の画家、山下清のライフヒストリー研究に取り組んでいます。戦中および戦後の貧困の中で、山下清は福祉施設(八幡学園)で貼り絵と出会い、放浪先で見た景色から数々の作品を制作しました。作品は「爆発的な大衆人気」を得ましたが、一方で当時の美術界の一部からは「空洞」だと批判もされました。このような「称賛と批判」の中で、山下清自身は芸術活動をどのように捉えていたのでしょうか。また、社会防衛思想や優性思想が蔓延する社会において、教育、福祉、芸術の関係者、家族、そして市井の人々が山下清にどのように関わり人生に影響を与えたのかを、当事者である山下清自身の視点から出発し、考察したいと考えています。

当学会へのリクエスト

 社会福祉学は、実践と研究の両立を重視する学問です。実践で得た知見を研究という形で社会に還元するためには、両者の交流の機会が多くあることが重要だと考えています。コロナ禍の3年間、対面での交流はできませんでしたが、オンラインを通じて、自宅や職場にいながら様々な学会や研修に参加し、交流することができました。社会福祉学会におかれましても、実践者と研究者が相互に交流できる場を、対面、オンラインの両方を通じて提供して頂けると嬉しく思います。